苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

風でなく霊では

創世記8章1節

8:1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。

 「風」と訳されるのはルアハである。つまり、「霊」「息」ということば。ここは第一の創造を記した創世記1章2節と、大洪水後の再創造の平行関係を考えるとむしろ、「霊」あるいは「息」という訳がよいのではないか。創世記1章2節では、「神の霊が水の上を動いていた」と新改訳第三版は訳している。さばきの大洪水の後、万物の創造と保持に携わる神のルアハ(霊、息)が通り過ぎて、水が引き始め、秩序が回復し始めたということなのであるから、ここは風でなく霊、息であろう。つまり、新たな歴史の再出発なのである。邦訳はみな「風」と訳していて、英訳もほとんどがwindだが、International Standard VersionはGod's Spiritと訳している。
 古代イスラエル人にとっては、吹きまくる風に神の息、神の霊をいきいきと感じていたということを以前、何かで読んだことがある。モーセが杖を上げて海が分かれたときにも、ルアハが吹いた。神がほほを膨らませてビューッと・・・そう思い浮かべると、なんだか愉快だ。日本語でも、「いきる」とはもともと「息すること」である。