苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

十二弟子の派遣

マルコ6:7−13


2016年9月25日 苫小牧主日礼拝


1.模範   やって見せ、言って聞かせて

  教育については、聖書からいろいろなことが考えられますが、その1つは模範ということです。旧約聖書申命記6章には、子どもの信仰教育について次のように言っています。

「6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」

 親が「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神を愛し」、神のことばを「道を歩くときも、寝るときも、起きるときも唱えている」と、子どもはその親の姿を見て、神様を愛する人となるというのです。確かに親が自分自身は神を愛していないのに、子どもには神を愛しなさいと奨めることはできません。信仰における真理とはそういうものです。「私は神を愛していないが、おまえは神を愛しなさい」というのはナンセンスでしょう。信仰の教育は、教理の切り売りではなくて、神様を愛することを伝えることを意味しているのですから、その教育の方法は必然的に模範です。
 模範というと、「罪深い私は無理です」という人が多いでしょう。私もそうです。しかし、パウロは、その手紙のなかで「私に倣う者となってください」と勧めています。パウロは自分が完全な人間であるなどとは思いもよりません。彼は「私は罪人のかしらです」とまで言っています。けれども、罪人のかしらにすぎない自分が、恵みによってイエス様の十字架の死によるあがないのゆえに救われたこと、そんな欠けだらけの自分でも主のために自分の人生をささげて懸命に信仰の道を走っていることを見て、しょっちゅう転んでも立ち上がって、また走っているのを見習いなさいというのです。
山本五十六の有名なことばに、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがあります。人を育てる極意です。やはり、模範が教育の第一です。
 これまで主イエスは弟子たちの見て耳傾けているところで、福音の宣教をし、悪霊を追い出したり病人を癒すという模範を見せてきました。「やってみせ、言って聞かせる」というのがこれまでの段階でした。次に、「させてみせる」という段階に入ってきたのが本日の聖書の箇所です。


2 任務・・・伝道と社会奉仕

 主は十二弟子を呼んで町々村々に遣わされました。

6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。
弟子派遣の目的は何かと言えば、主イエスの代理として、町々で主のわざを行うためでした。主イエスが彼らに与えた任務とはなんでしょう。次のようにあります。
6:12 こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、
6:13 悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。

 任務は二つあって、第一は「悔い改めを説き広めること」、第二は悪霊追放を病人のいやしでした。言い換えると、伝道と社会奉仕という二つが、主が弟子たちに与えた任務だったのです。以前にもお話したように、教会には伝道と社会奉仕という二つの任務があります。あえて優先順位をいうならば、伝道が第一で、社会奉仕が第二です。
 初代教会時代、福音の宣教とともに、やもめへの配給がなされていたことが使徒の働き6章に記されています。使徒たちはやもめへの配給の働きが負担が大きくなってきて、伝道が出来なくなったので信徒の執事さんたちを立てて彼らにこの社会奉仕を分担したという記事です。 古代ローマ教会のラウレンティウスが、ローマ当局から教会の財産の調査を受けたとき、「私たち教会の財産は貧しいやもめや孤児たちです。(ローマ皇帝様にお世話いただきましょうか。)」と話したということを、以前にもご紹介しました。国家というのは、近代の民主主義国家になるまで国民の教育や福祉には責任をもっていませんでした。それを担当したのが教会だったのです。現代では、国家が福祉に相当の責任をになうようになりましたが、国がそれを負いきれなくなってきて、二十年前くらいからでしょうか、日本でもNPOが用いられるようになりました。そうして、国の福祉行政の届かないような社会の働きを一部になうようになりました。NPO特定非営利活動法人というのは、欧米ではずっと昔から教会がしていたことなのです。
 私たちも及ばずながら、社会の必要のためにささげていきましょう。今度の主の日は、世界飢餓対策機構への献金日となっていますから、祈り備えましょう。


3 弟子としての心得

 主は弟子を派遣するにあたって、いくつかの配慮をなさいました。

(1)主が権威を与えた
 第一は、主は弟子たちに権威を与えたということです。

6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。

 権威を与えるということは、弟子たちは主イエスの代理として、主イエスの力を帯びたものとしたということです。弟子たちがいくら悪霊のとりつかれた人に向かって、「悪霊よ出て行け」と言っても出て行くことはありえません。悪霊は人間の言うことを聞かねばならない理由がないからです。しかし、弟子が「ナザレのイエスの名によって、命じる、悪霊よ出て行け」と命じるならば、悪霊たちは退散したのです。主イエスの神としての権威の下に、彼ら悪霊どももいるからです。
 牧師・伝道者がみことばを宣べ伝えるということもまた、主イエスの権威が授けられているから可能なことです。神学校を卒業したばかりの若ければ25歳とか26歳の青年が、教会の伝道師として立てられるということがあります。人生経験も学識も信仰生活の経験いうことなどあらゆる面で遣わされた教会の信徒のみなさんのほうがよほど勝っているということは、しばしばあることです。しかし、その伝道者が説教壇に立ち、みことばを忠実に宣べ伝えるとき、そこに聖霊が働いて、信仰をもってそのみことばが受け入れられるならば、悔い改めて永遠の滅びから救われ、永遠のいのちにはいる人が起こされ、また、ある人々は霊的に前進するのです。それは、主イエスがその器に権威を授けたからであり、そういう信仰が受け留める教会にあるからです。

(2)二人ずつ遣わした
 主イエスが弟子たちを派遣するにあたって、弟子たちを単独でなく二人ずつ遣わしました。いくつかの理由があるでしょうが、基本的には助け合うためです。
 一人だけだと、主イエスを警戒している人々からの弾圧があって、危険な目にあうこともあるでしょうが、二人であれば困難に立ち向かうこともできるでしょう。
 また二人で出かけて、一人が誰かに宣教しているとき、もう一人はそれをかたわらで聞いていて祈りつつ支えることができるでしょう。また、その働きの後で、「あそこは、こういうふうに話したほうがよかったんじゃないかな。」とお互いにアドバイスしたり励ましたりすることができるでしょう。
 伝道者の書四章につぎのようにあります。

「4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。 4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。」(伝道者4:9,10)

 これは、伝道者にたいする勧めとして言い換えれば、「同労者をたいせつにしなさい」ということです。若いときは傲慢で、牧師会に出るとなんだか無駄なことのように思い上がっていましたが、同労者はつくづくありがたいと知るようになりました。

(3)必要は主が満たしてくださる
 もう一つ、主イエス十二使徒を派遣するにあたって言われたことは、必要最小限だけ持てばよい。必要については、行く先々に用意された神の民が満たしてくれるということでした。8,9節。

6:8 また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。 6:9 くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
6:10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。

 これには当時のイスラエル社会の背景がありました。アブラハムの時代から、イスラエルの民は旅人とくに神のことばを携えた旅人をもてなすことが大切な、神の民としての習慣というか義務でした。その昔、アブラハムがマムレの樫の木のところで、三人の神の使いをもてなしたということがありました。ロトもまた、そのように二人の御使いをもてなしました。また、第二列王記4章には預言者エリシャがその働きをするための拠点としての小さな家を造ったシュネムの裕福な女性のことが出ています。
そういう伝統がありましたから、イエス様の名を帯びた伝道者を受け入れた人々は、「私どもの家を拠点として、この町に神のことばを宣伝えてください。食事や必要なものは私どもが用意します。」と受け入れるというのが普通にあったわけです。そして、主は主イエスの弟子を受け入れる人々に関しては、「わたしの弟子だからというので、水一杯でも与える者は、その報いにもれることは決してありません。」と祝福を約束なさいました。それで、主イエスは弟子たちに、「あなたがたを遣わす町にもわたしの民がいるのだ、と信じて出かけよ」とおっしゃったわけです。
 異邦人伝道に使徒パウロが開拓伝道に出かけた場合には、そういう宗教的伝統があるわけではないので、他の地域の教会からの支援を受け、また天幕作りで自活しながら、開拓伝道をしました。このように柔軟に考える必要はあるものの、基本的に伝道者としては、主の福音のために働く以上、神が備えてくださる神の民を通して、その生活の必要を満たしてくださるのです。「神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これら(衣食住)はすべて与えられます。」たしかに、私どもが信州の郡部に開拓伝道したときにも、パウロの開拓伝道の経済原則で伝道しました。神様は私ども家族を飢えさせませんでした。「いつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう。」という詩篇23篇のおことばどおりでした。

(4)宣告する役目

6:11 もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」

 弟子たちが二人である町に派遣されて、家々を訪ねて「ナザレのイエスの弟子たちです。神の国が近づいた。悔い改めて神のみ子イエスを信じなさい。」と伝えても、その町の人々が誰一人彼らを受け入れようとしないならば、弟子たちは神の国の先触れの役割として、「神の国はあなたがたから取り去られた」ということを宣言する意味で、足の塵を落として去りなさいと主イエスはおっしゃるのです。
 福音の宣教には、悔い改めて信じる人々に対して神の赦しを宣言する役割と、悔い改めを拒む人イエス様を拒否する人々に対しては、神のさばきを宣言する役割という二つの面があることがわかります。
 私たちに何か取り柄があるから神様が私たちを許して救ってくださるわけではありません。私たちは罪人です。しかし、乞食が手を差し出すように、私たちも信仰の空っぽの手を差し出して救いをいただくのです。キリストを拒否することは、空っぽの手を差し出そうとしないことです。そのままでは、神の前に滅びてしまいます、と警告し宣告することもまた、伝道者の役割です。

適用
 ここ苫小牧の地にもキリストの福音を携えてきたスウェーデンの宣教師たちがいました。聞くところによれば、中国が戦後共産化されて追放されて、北海道宣教をはじめたのだそうです。宣教師たちは自分たちで計画して北海道苫小牧に来たわけではなく、神の不思議な摂理によって、ここ苫小牧に福音を伝えることになったのでした。
再来年は、会堂がこの地に建てられて60周年です。二千年前に主イエスが始めた伝道者の派遣と、魂の収穫のわざはこのようにして、世界に広がりこんにちまで続いてきたのです。
 苫小牧福音教会はこの魂の収穫のわざを受け継ぐ者として、この苫小牧の地でさらに魂の収穫のために働いていく使命があります。私たちが、自分自身を主におささげするならば、主はかならず私たちを用いて、この地の人々の魂の収穫のために用いてくださいます。