苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

祝祷

イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(2コリント13:13)


 コリント教会の兄弟姉妹への手紙の結びは、祝祷。さまざまに教えや勧めや戒めを語ってきて、最後に牧会者が教会の兄弟姉妹のためにできることは、彼らに神の祝福を祈ることをおいてほかにない。兄弟姉妹を恵みに満ちた神の御手に委ねるのである。
 神は、父子聖霊の三位一体であるが、なぜ、ここでは、子、父、聖霊という順番になっているのだろう。キリストの御名によって父に到達し、父に願うことは聖霊の交わりをこの民に賜るようにという順序なのだろう。つまり、子・父・聖霊という順序は、神の存在の秩序の順序でなく、パウロ祈りの順序なのであろう。
 もうひとつ、「私たちすべてとともに」でなく、「あなたがたすべてとともに」と祈っているのはなぜだろう。祭司として、自分に与えられるはずの祝福もまた民に与えてしまってくださいと祈っていると解するむきもあろう。 そもそも祭司としては、自分のためでなく民のためにとりなしているのだから、「あなたがたすべて」であって、そこに自分は含まないのは当然という理解もあろう。しかし、私としては、ここは、遠く離れた地から、コリント教会の兄弟姉妹のために祈るという状況であるから、「わたしたちすべて」ではなく「あなたがたすべて」と祈っているのだと解するのがしぜんであると思う。
 私自身は、一地域教会の牧師として、自分の仕える教会の礼拝において祝祷をささげるときには、自らもその群れにあってともに生きる者として「私たちすべてとともにありますように」と祈ることが多い。しかり、ときには、「私に対する祝福も、この群れのひとりひとりに注いでください」と特別に意識して「あなたがたすべてとともに」と祈ることもある。