苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

守部喜雅『天を想う生涯―キリシタン大名 黒田官兵衛と高山右近』

 NHKで「軍師 黒田官兵衛」が放映されていたころに出版された本。しばらく積んでおいて今回読んでみた。小さいけれども、読み応えのある本だった。秀吉が、あるいは家康が、キリスト教に対してあれほどの敵意を向けなかったならば、日本の歴史は大きく違っていただろうに、と返す返すも残念。
 ローマ帝国の時代、教父テルトゥリアヌスは「殉教者の血は教会の種である」と言った。それで、迫害があり多くの殉教者の血が流されるところに、かえって福音は前進するのだと考える人々がいるが、それも迫害の程度・持続度によりけりである。ローマ帝国下におけるキリスト教弾圧は、皇帝の気まぐれや交代によって激しくなったり収まったりだったが、秀吉に始まり江戸時代・明治初期におけるほどの徹底的かつ持続的なキリスト教弾圧は、世界の歴史に類例を見ない。キリスト教徒であるという理由だけで十数万という人々が凄惨な拷問を受けて殺害されたのである。伝道者として三十年歩んできて知ったことは、今も多くの日本人の心の底には、キリスト教への憧憬がありつつも、一歩踏み出すことへの恐怖があるという事実である。それは、「お上」によるキリシタン弾圧の民族的記憶の故である。
 しかし、それほどの弾圧の中で、天(パライソ)を想いいのちを主にささげていった有名・無名の信仰の先輩たちが、この国には数多いた。その事実は、大いなる励ましである。

聖歌217番

1 主にある父らの 奉ぜし教えは 
  獄屋も剣も火も 消しえざりき
  同じ道 進まん われらも雄雄しく

2 勇気と自由もて いざ力尽くさん
  神よりまことを受けたるわれらは
  同じ道 進まん われらも雄雄しく

3 主イエスに連れ行かん すべての国民(くにたみ)
  真理は自由にせん   かれらを罪より
  同じ道 進まん われらも雄雄しく

4 こは友、あたびと 区別せず迎え 
  愛もて導く 神の教えなり
  同じ道 進まん われらも雄雄しく