苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

たとい外なる人は衰えても

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
  5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。
5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。
5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。(2コリント4:16-5:6)

 「外なる人」とはなんだろう。それは老化とともに衰えるものである。老化とともに衰えるのは肉体だけでなく、精神活動も含まれる。老化によって物忘れがひどくなり、気力の衰えを感じ、感性も鈍るということがある。だから、「外なる人」は肉体と知情意の活動が含まれていることになる。
 しかし、老化にともなって衰えないどころか、日々新たにされる「内なる人」があるという。
 人間の構成について、心(霊魂)と肉体の二分説と、霊と魂と肉体の三分説があるが、後者のほうが本日の聖書箇所をうまく説明できると思う。すなわち、魂と肉体は「外なる人」であり、霊が「内なる人」なのだ、と。5章5節によれば、神は、この「内なる人」に、御霊を保証として与えてくださった。
 老化によって肉体も魂も衰えていくけれど、聖霊をいただいた者は、その霊は日々新たにされることができる。いつまでも残るものが信仰と希望と愛であるということも、このことと関係しているのだろう。

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(1テサロニケ5:23)