苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

新しい契約

3:15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:15-18)

 古い契約と新しい契約の対比。古い契約は石の板に刻まれたが、新しい契約は御霊によって心の板に刻まれた。古い契約の務めは罪と死に定めることだったが、新しい契約は義とする務めである。そして、新しい契約において注がれた主の御霊は、この契約にあずかる者を内側から主と同じかたち、(あの創世記1:27のeikon)に姿を変えていってくださる。これこそキリスト者の希望。