苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

バベル:権力と巨大技術

創世記11:1-9

2016年8月7日 苫小牧夕拝

11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

1 移住、レンガの発明

11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。

 アダムとエバのときから、人類のことばは一種類でしたが、それがバベルの塔の出来事でことばが分けられたと聖書は告げています。現在、比較言語学では人類の言語は、インド・ヨーロッパ語族とか、ウラル・アルタイ語族とか、シナ・チベット語族など14ほどの語族に分類されています。それぞれの語族の中には細かく多くの言語があります。おそらく最初バベルで14ほど似に分けられた言語が、住む地域によってさらに方言が生じて、それぞれが一つの言語となっていったということなのでしょう。
言葉がお互いに通じなくなったために、彼らは別々に住むことになり、人類が全世界にひろがりました。創世記10章の民族表にみるノアの子孫たちの広がりは、このバベルの事件が原因であったというわけです。

さて

11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。

 とあります。シヌアルの地の東のほうイラン高原の山岳地帯から、この平地に彼らは移住してきたのです。わざわざ移住してきたのは高原地帯が住みにくかったので、広々とした土地を求めたかったからでしょう。
シヌアルの地とは、チグリス川、ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア下流域です。メソポタミアという言葉自体、メソは「間」、ポタモスは「川」という意味ですから、川と川に挟まれた土地という意味です。二つの大河が上流から豊かな栄養を含んだ土壌を運んできて、体積して出来た土地ですから、農業が容易だったので、ここに世界四大文明のひとつメソポタミア文明が生まれたというわけです。

11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。

平地であったことは農業にも生活にも便利だったので、収穫をえることは東の狭い山岳地帯の畑に比べれば、格段に容易でした。しかし、移住してきた彼らが困ったのはそこには石がなく、石材でもって家を造り町を造るということができないいということでした。しかし、彼らは粘土が乾くと石のように堅くなることに気づき、粘土を枠に入れて天日干しにしてレンガを造ることを発明しました。そして、たくさんのレンガをその地のあちこちに湧いていた瀝青アスファルトを、レンガを密着させて組み立てる材料としたのでした。神様がくださった知恵で、彼らは家を造り、収穫物を格納しておく倉庫を造りました。
神の恵みによって、よい土地が与えられ、豊かな収穫が与えられ、神に与えられた知恵によって家も倉庫も与えられました。感謝なことでした。ここまではよかったのです。


2 天に届く塔を建てよう

(1)思い上がり
 しかし、問題は4節の発言です。

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」

 ここには人間の思い上がりがはっきりと現われています。人間が都市文明を手に入れて傲慢になるという現象は、すでにカイン族において現われていました(創世記4章)。それは大洪水でいったん断たれたかに見えましたが、また出てきたのです。背後にはサタンがいるからなのでしょう。
 「天」というのは神の御住まいとされたのですから、「頂が天に届く塔を建て、名を上げよう」というのは、文明・技術力で、われわれは神にまで到達することが出来るのだという人間のおごりの現われにほかなりません。
考古学者たちによって、メソポタミアではいくつもの都市が発掘されています。それらの都市の特色は、町の中央部にジグラトと呼ばれる階段式のピラミッドが位置しているということです。エジプトのピラミッドは頂とがっていますが、ジグラトはその頂には小さな神殿がある宗教的施設です。これらのジグラトは、最初に建てられたバベルの塔の記憶に基づいて築かれたものであると考古学者たちは推定しています。バベルの塔は、天の神の領域までも、人間の知恵・土木技術で到達することが出来るのだというおごりの現われです。

(2)権力と技術が結びつくとき
 しかし、天を突くような巨大なジッグラドを造ることができたのは、知恵や土木技術力があったからだけではありません。このような巨大技術が実現可能となったのは、権力者がこの巨大技術と結びついたからにほかならないのです。というのは、ジッグラド建設には、莫大な富があり、何万人もの労働力が必要不可欠であり、そういうことを可能にする強制力が必要であるからです。技術があるだけでは、こういう巨大技術は実現するこはできないのです。
 バベルの塔というプロジェクトが可能となったのは、そこに強力な中央集権的な国家体制が誕生していたからでした。前の章で学んだニムロデという人物は「地上で最初の権力者であった」と記されていました。彼は、チグリス、ユーフラテス川の下流域から始まって、上流域への侵略して版図を拡大してゆき、莫大な富と軍事力とを蓄えて行き、自らの神格化の象徴、一種の偶像として、このバベルの塔を築いたのでした。後にバビロンのドラの平野に建てられた金の巨大な像がネブカデネザル王を意味する偶像であったのと同じです。織田信長安土城を築き、豊臣秀吉大阪城を築いたのも同じで、現代の箱物行政にも、通じるものがあります。


3 神の裁き

 しかし、神は権力と巨大技術が結びついた人間の思い上がりを打ち砕かれるのです。まず人間の思い上がりに対して皮肉な書き方がされています。

「11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。」

 塔を建てた権力者は、「天に届く塔を建てたぞ」と誇らかにしていましたが、偉大な神の御目から見れば、そんなものは降りて見なければ見つけることができないほどちっぽけなゴマ粒みたいなものにすぎなかったという皮肉です。
 そして、神は、人間がこんなものを造ってますます傲慢にならないように、と、人類を分けてしまわれたのです。その方法が、ことばを乱すという方法であったというのは、いかにも神様の知恵です。

11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

 バベルという名は、「神の門」ということなので、権力者はこのバベルの塔をもって天の神のようになれると考えたのでしょうが、聖書は「混乱する」バーラルということばと引っ掛けて、皮肉な説明を加えているのです。権力者が、その富と軍事力でもって自分はなんでも出来る、自分は神のような存在であると思い上がった結果は、混乱であったのです。
 今日にいたるまで世界の歴史には、何度も、軍事力をもって世界統一帝国一を果たそうと試みた権力者が出現しましたが、ことごとく滅びてきました。聖書の背景である古代オリエントでは、アッシリヤ、バビロン、ペルシャ、ヘレニズム帝国、そしてローマ帝国ですが、これらはことごとく滅びてきました。近代では大英帝国とか、ソビエト帝国とか、アメリカ帝国とか・・・。現代では、中華帝国が鼻息荒く振る舞い始めました。しかし、軍事力を背景として世界を統一しようという企ては、ことごとく滅亡を招くのです。


4 巨大技術は、権力と結びついて実現する

 技術には二面性がある。それは、技術が神の意志に服しているならば神と人とにとって有益なものとなりますが、神の支配を拒めばそれは偶像となって人間を神に背かせ社会を破壊するのです。この二面性が、創世記において二つの記事に表現されている。 
 一つ目はノアの箱舟の事件(創世記6〜9章)。全人類が神に反逆して、神がこれを大洪水をもって滅ぼそうとされたとき、神はノアに箱舟を造って生き残るべき家族と被造物を救うように命じました。ノアは神のことばに忠実に服従し、神が示された設計図のとおりに箱舟を造り、彼の家族と被造物を救出しま。神の支配に服した技術が救済的に用いられた例である。ノアの箱舟は技術の本来あるべき姿を示唆しています。
 もう一つは、バベルの塔の事件(創世記10、11章)。バベルの塔の事件は、技術が権力と富と結びついて巨大技術となった問題性を我々に教えています。バベルの塔は、強大な軍事力と巨億の富とを手中にした権力者が、土木技術をもって表現した自己神格化のシンボルなのです。バベルの塔は単にすぐれた土木技術があれば実現するものではなく、技術が強大な権力と結びつくことによってのみ実現可能になったことでした。巨大技術というものは、巨億の富と、人間集団を組織し操ることのできる権力と結びついてはじめて、出現が可能となるのです。
 科学史山本義隆によれば、科学的理論の成果を工業規模での技術に統合しえた最初の例は、マンハッタン計画における原子爆弾の製造だったと述べています。「マンハッタン計画は、理論的に導かれ実験室での理想化された実験によって個々の原子核のレベルで確認された最先端物理学の成果を、工業規模に拡大し、前人未到原子爆弾の製造という技術に統合するものであった 」。原爆製造は、到底、個々の研究所や大学や企業のなしえることではなく、国家の主導によってのみ可能な巨大な事業でした。
さらに、山本はマンハッタン計画から生まれた軍産複合体は、戦後社会的影響力を増大させ、「アメリカ金融資本における『原子力の平和利用』をスローガンとする核産業のグローバルな展開も、国家主導という意味においてその発展的継続であった。 」とも指摘しています。原発はいくつもの大企業にまたがってのみ実現可能な巨大プロジェクトであり、国家の主導がなければ実現できません。費用一つとってみても、原発は一基4000億円ないし6000億円し、立地自治体の説得のためには莫大な電源立地対策交付金 が税金から投入されます。また、国民が原発に反対しないように、学界と教育界とマスメディアを用いて「安全神話」で洗脳し、これらすべてを可能とする法の整備もされなければなりません。それでもなお原発に反対する人々は、暴力団 、検察 や裁判官 までも抱き込んで抑え込んできました。原発は国策としてのみ可能な巨大技術でした。原発は安いエネルギーだと宣伝してきましたが、実際には原発はもっともお金のかかる発電方法です。日本の未来を考えて原発と宣伝されてきましたが、ウランの埋蔵量はカロリーベースでいえば石油の三分の一ほどしかないので原発には将来性はありません。原発がなくては電力需要をまかなえないと宣伝されてきましたが、これもウソで原発がなくても電力は十分まかなえるのです。原発は鋼鉄をウソとコンクリートで塗り固めた技術なのです。
なぜ権力者はここまでして原発を渇望するのでしょうか?ニムロデに見たように、権力の本質は剣、軍事力です。権力者たちが原発にこだわるのは、核兵器への渇望ゆえです。わが国は原発導入以来、「原子力の平和利用 」という看板を掲げて来ましたが、権力者が核技術にこだわり続けて来た真の理由は、核兵器の技術を持つためでした。岸信介正力松太郎中曽根康弘安倍晋三石破茂たちは、声高に愛国心を言い立ててきた国家権力者たちは、核兵器を求めて原発推進したのです。1970年『防衛白書』には、「小型の核兵器が自衛のために必要な最小限の実力以内のものであって、他国に侵略的脅威を与えないものであるならば、これを保有することは法理的に可能である・・・ 」としています。中曽根は佐藤内閣の科学技術庁長官時代に核武装の研究をさせていました 。安倍晋三は、内閣官房長官当時の2002年5月13日に早稲田大学で行われた講演で、「戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介)総理答弁で違憲ではない、と言う答弁がされています。 」と戦術核の使用を肯定しています。今般、防衛大臣になった稲田朋美氏は核武装論者です。


結論
人は、技術文明を獲得して、神抜きで自律することをますます求めるようになりました。技術には二面性があり、神の御心に服させるならば救済的に用いられますが、神の支配を離れると神に代わる偶像化し人類と地球を害するのです。
国家権力が技術を手にするとき、国策として巨大技術が実現します。権力には、その本性からして剣と富がつきものなので、権力と結びついた巨大技術にもまた兵器と莫大な利権が伴うことになります。現代日本においては、バベルの塔原発です。安倍政権は武器輸出と原発輸出によって、富国強兵を推し進めようとしています。しかし、その先はバーラルつまり、混乱と破壊です。
私たちは、為政者が目を覚まして悔い改めて、謙遜に、正しい政策をとるように祈らねばなりません。やはり、きょうも結論は、同じです。

第一テモテ「2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」

日本同盟基督教団 苫小牧福音教会のご案内
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