苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ニムロデ・・権力の二つの顔

創世記10章、ローマ書13章1-7節、黙示13:1-8
2016年7月31日 苫小牧夕拝

10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
10:9 彼は【主】のおかげで、力ある猟師になったので、「【主】のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。 10:11 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、 10:12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。


1 人類の広がり・・・11章は10章の原因となった事件

 創世記10章は一般に「民族表」と呼ばれている箇所で、ノアの息子セム、ハム、ヤペテがどのように世界に広がっていったかが記されています。2節から5節はヤペテの子孫、6節から20節にはハムの子孫、21節から31節はセムの子孫です。
その中で、特に注目すべきは6-12節のニムロデに関する記事で、彼は「地上で最初の権力者であった」と記されています。彼が活動した地域は10節にあるようにバベル、エレク、アカデというシヌアルの地、いまでいうメソポタミア下流域からニネベなど上流域まででした。
 創世記11章1-9節は、有名なバベルの塔の記事です。バベルは地上で最初の権力者ニムロデの地です。バベルの塔の事件から、人類にさまざまな言語が生じ、それゆえに人類は世界中に散らされたたとしるされています。ですから、時間的には11章のバベルの塔の事件が、10章の民族の広がりに先立っているわけです。つまり、11章は10章の民族のひろがりの原因となった出来事というわけです。予告では10章11章をいっしょに学ぶつもりでしたが、少し変更してバベルの記事は来週学ぶことにします。


2 剣の権能を託された神のしもべ

(1)主の前に力ある猟師ニムロデ
 さて、まず10章の最初の権力者ニムロデに関する聖書の記述を見ます。物事は、その初めの姿に本質が現れているものです。ここには、権力というものの本質、その本性が原初的なかたちでしっかりと現われています。権力には二つの顔があるということを憶えてください。
 権力者の第一の顔は、神に剣の権能を託された神のしもべということです。
 9節に「彼は主のおかげて力ある猟師になったので、主のおかげて力ある猟師ニムロデのようだといわれるようになった。」とあります。「主のおかげで」というのはちょっと珍しい翻訳でふつうに訳せば、「主の前に」ということです。
 彼が「力ある猟師であった」ということばに注目してください。古代エジプトの王の壁画や、あるいは古代メソポタミアの壁画を見ると、王が獅子を退治している図柄がしばしば描かれています。つまり、古代、民が恐れ敬い頼りにする王という存在は、剣の力をもって恐ろしいライオンや熊やトラなど獣たちや敵をしたがえて民を守ってくれる存在であるということでした。また、権力者も自分がそういう恐ろしい野獣・残忍な敵から、お前たちを守ってやっているのだとしていたわけです。
 神学のことばとしては、神が権力者に「剣の権能」をお与えになっているというふうに表現します。現代風のことばでいえば、神様は国家に警察権を与えているのです。またマックスヴェーバーと言う人は、警察や軍隊は国家に与えられている暴力の独占と管理であると呼びました(『職業としての政治』参照)。日本でいえば、秀吉の刀狩です。


(2)神のしもべとしての権力者・・・ローマ13章
 ローマ13章を開いてみましょう。

13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。

 本来、権力者は、その剣をもって、社会正義が維持されるように努めるべきなのです。それは、人間が堕落してしまい、みなが自分勝手になってしまったので、強制力をもってしなければ社会秩序が維持できなくなってしまったからです。終戦直後、全国の各都市ではやくざが横行してやりたい放題にやった時代がありました。焼け野原に勝手に柵を作って、これはナントカ組の土地だといって、広大な土地をとってしまうようなことが横行しました。国家権力が弱体化してしまったからです。
 国家権力がなければ、堕落後の世界は、ちゃんと治められないので、神様は権力者に剣、暴力装置を託すことで社会の秩序と平和を維持させているのです。権力の原初のかたちというのは、腕っぷしの強い人が、ライオンの群れから民を守ってやったり、襲ってくる外敵から守ってやるということでした。そして、そのお礼として民から貢物をもらうというわけです。これが税金の原型ということになります。


2 権力者はサタンの誘惑にあう

(1)権力者が覇権欲にかられるとき
 ニムロデの記事は、10章の10-12節で、権力者の罠というか、権力者のもう一つの顔が出てきます。それはサタンの手下である貪欲な覇権主義者ということです。

10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。 10:11 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、 10:12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。

 ニムロデの王国の最初はメソポタミア下流域のバベル、エレク、アカデでした。ここはシヌアルの地と呼ばれました。ニムロデはこれらの地の王となり、ショバ代というか税金を集めまして、富と軍事力とを蓄えてゆきました。富と軍事力が集積されると、余力が出来てきて、さらに彼はメソポタミアの上流域へと進出してゆきます。ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ・・・といった具合です。権力者は、その本性として、その支配する範囲を拡張してゆきたいという誘惑にかられるのです。もっともっと多くの人々にかしづかれ、敬われたいという権力欲・覇権欲にかられるのです。
 ニムロデは、最初「主の前に力ある猟師ニムロデのようだ」と言われていたというのですが、そのうち、自分の腕力、武力をもって、自分を高めたいと考えるようになったのです。歴史を振り返れば、多くの権力者が最初は民を敵の圧迫から解放する解放者として、あるいはそういう装いで出発しながら、いつのまにか、彼自身が権力主義者・覇権主義者となっていったということを私たちは見ることができます。例えば、アレクサンドロス大王は圧迫する巨大なペルシャからマケドニア半島を守る英雄だったのですが、やがて、覇権欲のとりこになって侵略に侵略を重ねておびただしい血を流しました。かつての日本も、アジアを欧米列強の植民地主義から解放するというスローガンで、大東亜戦争を始めましたが、アジアの無辜の人々を二千万人死にいたらしめたのです。このところ恥ずべき歴史修正主義者たちが、あの戦争を美化する宣伝をしています。しかし、アジア諸国のご老人たちがおぼえている日本語といえば、日本兵から彼らに鉄拳とともに投げつけられた「バカヤロー」という罵声なのです。

(2)悪魔と権力者・・・黙示録13章1-8
 権力者はなぜこういう罠に陥るのか?それはサタンによることであると黙示録13章は教えています。登場する海からの獣というのは、直接的にはローマ帝国の暴君となった皇帝のことであり、将来、出現する反キリスト的国家権力者のことであり、竜というのは悪魔のことです。

「13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。 13:2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」

 悪魔はローマ皇帝に力と位と大きな権威を与えます。それでローマ皇帝は傲慢になり、自らを神として祭り上げて皇帝崇拝とサタン崇拝を民に強制するようになるのです。

「 13:3 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、 13:4 そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう」と言った。」

 さらにローマ皇帝は神を冒涜し、キリストを信じる者たちを迫害しました。

「13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。」


適用 
 権力者には、こういうわけで二つの顔があります。神にたくされた剣の権能をもって社会秩序を維持するという神のしもべとしての顔。もう一つは、サタンの誘惑に乗せられて覇権主義に走り、神の民をも迫害するというサタンの手下としての顔です。
 私たちは、権力者が、サタンの誘惑にあって傲慢になり、軍備拡張に走ったり、侵略を企てたりせず、謙遜に神のしもべとして、その務めを正しく果たすように祈ることがたいせつなことです。
1テモテ2章

「2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」