苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大切なのは神

3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。(1コリント3:6,7)

 コリント教会はパウロが開拓したのち、アポロが訪れて、その成長を助けた教会だった。結果、教会内には、開拓当初からの信徒からなるパウロ派、途中からアポロの薫陶を受けたアポロ派といったものが生じていた。それが、ギリシャ的な文化の影響だろうか、知識にかんする誇りというかたちで現れていたようである。「パウロ先生こそこの群れの開拓者でありもともとあの大学者ガマリエル門下の俊才である」とか、「いやいやアポロ先生は学都アレクサンドリア仕込みの名調子の雄弁ではないか」というような争いだったのだろう。
 しかし、植えた者、水をまいて育てた者がいたとしても、育てたのは神ではないか、パウロもアポロもともに神のしもべにすぎないと使徒は説得する。私たちの名で教会が分裂するなど、神の前の不名誉は甚だしい。また、それを内部で争ってどうするのだ、神殿である教会をそんなことで破壊・分裂させたとしたら、それは神の前に恐るべき罪だ、と警告する(16,17節)。
 パウロ派、アポロ派、ルター派カルヴァン派、ウェスレー派などなど、パウロにせよカルヴァンにせよ、もし彼らが自分の名が冠せられた派が生じたことをもし知りえたならば、「そんなことは止めてくれ。」と嘆くのではなかろうか。たしかに単に区別するために、なんらかの命名は必要なのだろうが、その人の名を誇ったり、けなしたりというのはやめにしてほしい。