苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

御霊のことは御霊によってわきまえる

 「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかには誰も知りません。 ところで、私たちはこの世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。(中略) 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊にを受けている人は、すべてのことをわきまえます。」1コリント2:11−15抜粋


 では、神の御霊に属することとはなんだろう。それは、生まれながらの人間が「なんだ、そんな馬鹿なことがあるものか」と思うことであり、御霊を受けた人は「なるほど、その通りだ」と思うことである。文脈上、直接的には、それは「十字架のことば」を意味している。全能の神の御子が人となってこられ、あの十字架の死と復活をもって、あなたの罪の償いをなしとげてくださった、と聞かされたとき、「ああ、そうだったのだ」と悟りえたのは神の御霊による。