苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神が命じられたとおりに

創世記6:9−22

2016年6月26日 苫小牧主日朝礼拝


1 ノアという人物は 

 

  6:9 これはノアの歴史である。
 ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

(1)その時代にあって
 神の裁きとしての大洪水がやってこようとする時代、神を恐れて歩んでいたはずのセツ族の青年たちは、カイン族の娘たちの色香に惑わされてしまい、もはや地上には神を恐れ敬って生きる人々はいなくなってしまいました。そういう時代の中にあって、例外がノアという人物でした。
「その時代にあって」といことばが印象的です。人間は時代の子で、時代の波に流され、飲まれてしまいがちなものです。時代遅れは恥ずかしいことだ、「化石だ」という価値観が蔓延しています。少し前まで携帯電話は最新の機器でしたが、今では、携帯はガラケーと呼ばれるようになりました。携帯は、ガラパゴス諸島に住む生きた化石みたいな動物たちのように、時代遅れだと馬鹿にして、今はスマホの時代だとかいうわけです。そういう風潮に乗せられていく。
まあ電話のかたちの流行程度のことなら、目くじらを立てる必要も無いかもしれませんが、ノアの時代は道徳的価値観が、流行によって堕落していたのです。

6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。

「すべての肉なるものが、地上でその道を乱していた」とあります。「道」とは、創造主がお定めになった、正しい生き方の基準です。神が正しいと定めたことを時代遅れだと馬鹿にして、神が悪だと定めたことを最先端の価値観では善なのだとするような世の中になっていたのです。ノアの時代、人々は神のさだめた人の道を乱していたのです。

私の中学生頃まで、結婚前の男女が性交渉することは不道徳な恥ずべきこととされていました。今はどうでしょう。婚前交渉しないで、結婚まで純潔を守ろうとする人は、変人扱いされる時代になってしまいました。・・・そして、「神などいない」というのが、この狂った世の中の常識となっていて、神を恐れ敬って生きるような人間は変人扱いされる。そういう時代です。「そういう考えは古い」と言えば、相手の意見を一蹴できる人たちが多くいます。「その時代にあって」正しく生きるというのは、なかなかたいへんなことです。


(2)ノアは神とともに歩んだ
ノアが、その時代にあっても、正しく全き人であった、その秘訣が書かれています。それは「ノアは神とともに歩んだ。」ということです。前の章の系図に、「エノクは神とともに歩んだ。」とありました。聖書のなかで「神とともに歩んだ」と形容されているのは、私の記憶が正しければ、エノクとノアだけです。
この世の流行は、激流です。クルクルと変わってしまいます。現代の日本では、神のみこころから外れて、偶像崇拝することが常識、お金が人生で一番大事だというのが常識、親に反抗するのが常識、総理大臣から始まってウソをつくのが常識、婚前交渉が常識、結婚しても不満があれば不倫するのが常識・・・そうなっています。ノアの時代も同じような状況だったのでしょう。
そういう時代の中で、まことの神のみを礼拝し、人生で一番大事なことは真の神を愛し隣人を自分自身のように愛することであると思い定め、親を敬い、ウソをつかず正直に生き、人から化石扱いされても結婚まで純潔を守り、結婚したら死が二人を分かつまで配偶者に誠実を尽くす、それがノアの生き方でした。時代の激流は滅びの滝つぼに向かって音を立てて流れていきます。もし時代とともに滅びないことを望むなら、時代に流されないために、私たちは神とともに歩むことが必要です。
テレビや雑誌やインターネットで、この世のありさまを見ていると、何が正しく何がまちがっているのかがわからなくなります。芸能人たちはくっついたり離れたりして男女のあり方の道を乱しまくっています、政治家は総理大臣からウソばかりついて平気な顔をしていますし、ニュース番組は政府に不都合がことをいうキャスターはことごとく降板させられて何が本当のことであるかわからない、そういう時代のなかに私たちは今生きています。私たちは、神のみことばに常に耳を開いて、方角を見失わないようにしなければなりません。


2 箱舟

 主は忍耐強いお方ですが、正義の審判者です。あくまでも神を拒み、罪にふけっている者たちは滅ぼされます。
  6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
 しかし、神はノアとその家族に対して特別に箱舟を用意するために、設計図と猶予をくださいました。

6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
6:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

 15節にしるされている箱舟の縦横高さの比率3対5対3で船をつくれば、最大の復元力をもった船になることを、科学者たちが実験を見たことがあります。軍艦のように少々の攻撃を受けても転覆しないように設計された船のばあい、最大60度まで復元できるだそうです。転覆しないだけでなく、相当のスピードをもって進まなければならないから、この程度で妥協しているそうです。ノアの箱舟の場合は、スピードを出して航行する必要はありませんからもっと安全に設計されていて、ほとんど90度近くまで傾いても、転覆することがないそうです。
 箱舟のサイズは、小学校の校舎ほどの大きさで、神様は復元力だけでなく、箱舟の中身を三階にすること、扉をどこにつけるかということ。生き物のために光と空気をいける窓を作ることなど、細やかに指導してくださいました。
 あらゆる獣のうち平均は羊程度の大きさになるそうです。3階になっているフロアに、神が命じたとおりに動物を積み込むと、2階分がいっぱいになって、あと一回分は食糧倉庫になる計算になるのだそうです。もちろん、動物といっても20メートルもある恐竜のような巨大な動物のばあい、子どもの恐竜を神はお選びになったのでしょう。


3 契約

 そして、神はノアたちを生き延びさせるだけでなく、契約を結んでくださいました。

6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。
6:19 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
6:20 また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。」

 ノア契約の特徴を挙げてみます。

第一に、ノア契約はノアだけでなく、ノアの家族と子孫たちをも相手にしたものでした。神は一人の人を救うと決めると、その家族まで特別な扱いのうちに入れてくださいます。ロトにソドム滅亡を告げたとき、御使いは妻と二人の娘たち、そして娘たちの配偶者もいっしょにこの滅びの町から連れ出しなさいと告げました。新約聖書においても、パウロは第一コリント書のなかで、次のように言っています。

「7:13 また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。 7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。」

「聖められている」というのは「救われている」という意味ではありませんが、神のものとして取り分けられて、特別な扱いの中におかれているという意味です。神は、家族をたいせつになさいます。ご自分の家族がまだイエス様を信じていない方たちは、希望を捨てずに祈り続けるべきです。

 ノアの契約のもう一つの特徴は、人間だけでなく動物たちまでも含んでいるということです。しかも、動物たちをつがいで船に乗せることが指示されているのは、子孫たちまでも、その契約の対象とされているということを意味しています。ノアの契約は、世界の保持の契約です。神は、人間だけを相手にしているのではなく、被造物全体を相手にしていらっしゃいます。被造物世界は、アダムが堕落して以来、「虚無に服し」て「うめいて」います(ローマ8章)。
 たしかに、神様は人間を「神のかたち」つまり御子に似た者として造ってくださったので、人間を格別にたいせつにしてくださっていることは事実ですが、その目は人間だけでなく被造物全部にも注がれているということを私たちは意識することが大事なことです。人間だけが特権的地位にあって、被造物を好き勝手に利用して搾取してよいと考えるとすれば、それは神様の前に罪です。ノアは歴史上最初の動物園の園長さん、飼育係でした。ノアは、動物たちを箱舟に順々に乗せて、それから1年と10日間にわたって、彼らの世話を船のなかでしたのです。犬を少し飼っただけでも、その世話はたいへんなことですが、こんなにもたくさんの動物たちの世話をするというのは、どんなだったでしょう。カルヴァンは『キリスト教綱要』の中で、ノアの苦労について「ノアは生涯の大部分のときを方舟の建造に疲れきって働いた。彼は死を免れたが、それは百度死ぬよりももっとわずらわしかった。すなわり、箱舟は十ヶ月(ママ)にわたって、かれにはあたかも墓穴のようなものであったが、そのほかに、この長い期間、獣たちの排泄物のなかに空気もかよわぬままに、ほとんど浸ったままで置かれたというほどつらいことがありえようか。云々・・・・・」(綱要Ⅱ,10,10)と書いています。
神様が、創世記1章28節で「地を支配せよ」と仰せになった意味は、そういうことなのですね。また、神様が、世界を支配していらっしゃるということは、そのように全被造物を細やかに世話するということなのです。


4 ノアは神が命じられたとおりに

 以上、大洪水の予告、方舟の造り方、動物の救出計画について神様からことばをいただいて、ノアはどのように応答したでしょうか。聖書は言います。
6:22 「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」
 これがノアの神に対する応答でした。『ノアは、神とともに歩んだ』というその中身は、こういうことです。人間的に不平や理屈をいえば、いくらでも言うことはあったでしょう。こんなにもおびただしい動物たちの世話を、私たち家族8人だけでせよとおっしゃるのですか。動物たちをつがいで集めよとおっしゃいますが、どうしたら集められるでしょう、船のなかでは動物たちの餌はどうするのでしょう。ライオンが羊を食べてしまわないでしょうか。犬とサルが喧嘩をしますよ。キリンは首が長すぎます。・・・しかし、ノアはそういう不平不満をいう唇を閉ざして、「すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」のです。見事な信仰でした。

結び
 大洪水の前の時代のように、私たちが生きている時代もまた、肉なるものが地上でその道を乱している時代です。主イエスの恵みの契約うちに導きいれていただいた私たちは、こうした時代の中にあっても、この時代の流されずに、神とともに歩みたいものです。
ノアの主のしもべとしての生活は、金太郎池に浮かべたボートに乗って、のんびりしているようなものでなく、方舟の中でたくさんの動物たちの世話に忙殺されているというものでした。私たちのキリスト者としての人生も、気楽なものではないでしょう。たしかにこの時代にあって敬虔に神を畏れて生きようとすれば、戦いがあります。
けれども、ノアのような先輩がいるのです。そして、ノアを守られた神は、今私たちのこの時代の中にあって守ってくださる同じ神です。主はあの時代に、方舟をくださって、ノアと家族と動物たちをまもってくださいました。
今の時代の箱舟とはなんでしょう。嵐の中で激流のなかで私たちを守る方舟とはなんでしょうか。同盟教団の教理問答27番にこうあります。

問い 神は主にあり者をこの世で守られるため、保護の備えをしておられますか。
答え はい。しておられます。それは、教会です。