苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

病人には医者が

マルコ2:13−17
2016年6月12日 苫小牧主日礼拝

2:13 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。
2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
  2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」
2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

1.主の召しのことばの力・・・無から光を創造されたことばのように

2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

(1) 取税人が・・・売国奴かつ守銭奴
 今日の個所に登場するアルパヨの子レビとは、このマタイの福音書を記した人マタイその人です。彼は収税所に座っていました。税務署の役人というのは、現代の日本でもけむたがられがちな職業かもしれませんが、ちゃんとした職業です。しかし、イエス様の当時のユダヤ人の間では格別の意味で、人々から嫌われ、軽蔑までもされていた職業でした。
 当時、イスラエルの国はローマ帝国の属州という立場にありました。属州はある程度の自治は認められていましたから、サンヒドリンというユダヤ人の議会もありました。けれども、その上にはローマの傀儡政権であるヘロデ王家があり、さらに最高権力者としてローマから派遣された総督がおりました。当然、ユダヤ人たちは彼らローマ政府を憎んでいたわけです。自分たちがローマ帝国支配下に置かれているということを実感させられるのは、ローマ政府に対して税金を搾り取られるということです。
ローマの都の繁栄は、植民地人・属州民からしぼりとられた税収によることであり、イスラエルの人々は税金を取られるたびに、ローマに対する憎しみを深くしたわけです。日本人として日本政府に取られた税金が無駄遣いされているのでも腹立たしいのですから、まして宗主国のために税を払うのは腹が立ったでしょうね。
 ローマ人は賢くて、そういう属州民からの憎しみをそらし、かつ、経費をかけないで徴税をするために、取税人を現地人による請負制としました。ローマ人の徴税役人を現地に派遣すれば、税務署の運営に費用がかさみますから、現地人から取税人を募集したのです。しかも、彼らの収入はローマに納税しなければならない額にそれぞれ上乗せした分をピンはねすることによって得るという仕組みであったそうです。
 そんなわけで、当時のイスラエルでは、ローマの犬になって同胞から金を搾り取る取税人というものは、カネのために魂を売った守銭奴かつ売国奴とみなされていたわけです。
 『はだしのゲン』というマンガに、原爆症の出た同胞を、原爆症調査委員会ABCCに送り込む仕事をしていた日本人が登場します。彼らはハゲタカと呼ばれ軽蔑されるのです。ABCCは治療はいっさいせず、ただ放射能障害の調査をして、次の核戦争に米軍が備えるためのデータ集めをしていました。ハゲタカ、ちょうど当時のイスラエルにおける取税人はそういう仕事でした。
 レビは取税人でした。どういう事情があったのかはわかりませんが、彼が「俺は、神様の前に恥ずべき呪われた罪人である」と思っていたことは間違いありません。
 
(2)「わたしについて来なさい」
 そういう取税人をあからさまに軽蔑し、罵倒したのは、ラビと呼ばれる律法の先生たちでした。とくにパリサイ派の先生たちは反ローマ的な国粋主義者でしたから、神の民イスラエルローマ帝国に税金を納めること自体が罪にあたるという教説を唱えたりもしていましたので、ローマの徴税の手伝いをする取税人などというものは、唾棄すべき職業であり、神ののろいを受け滅ぶべき守銭奴であるとみなしていました。
 レビが収税所に座っておりますと、イエス様と弟子たちがそこを通りかかりました。取税人レビは、『ああ、また律法の先生がやってきた。どんないやみを言われるだろう。憎憎しげににらまれるだろう。侮辱されるだろう。』と心につぶやいて、目を合わせないようにうつむいていたことでしょう。『さっさと通り過ぎて行ってくれ』という思いにちがいありません。
 ところが、その人は、レビの前に通りかかると、ぴたっと立ち止まったのです。「あ〜いやだなあ。この方は、俺になにをいうのだろう。」とレビは思いました。ところが、彼の耳にびっくりする言葉が飛び込んできました。
「わたしについて来なさい!」
「君をわたしの弟子に取り立てよう。」という意味です。
 このことばを聞いたとたん、取税人レビの内側に何か新しい出来事が起こりました。そして、彼はいきなり「はい!」と立ち上がって、イエスに従うことにしたのです。不思議な光景です。そこにいた弟子たちも、取税人仲間も、他の人々もほんとうに仰天しました。これはレビの心のうちに、主イエスのことばと御霊が起こした新生の奇跡でした。創世記一章に、神が闇に向かって「光よあれ」とおっしゃると、そこに光があったとあるように、主のことばは闇のなかに光を創造なさる力があるのです。罪意識と劣等感との分厚い壁に閉じ込められていたレビの心のなかに、「わたしについて来なさい」という主イエスのことばは新しい光といのちと喜びと、主に従っていくという決断とを創造したのです。
  

2.変えられた取税人

 レビは新しく生まれました。そして、これからは弟子として地の果てまでもイエスさまについていくという決心をしたのです。この門出にあたって、彼は仲間を集めて宴席を設けました。仲間たちというのは、取税人仲間、ごろつき、遊女といった人たち、つまり、当時の社会で罪人として軽蔑されていた人たちです。そこに、イエス様と弟子たちも招かれて食卓をいっしょに囲んでいます。

2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。


 ご馳走が振舞われて、わいわいがやがやと楽しげな宴席です。「やあ、驚いたね、取税人が、これからはイエスさんの弟子になろうとはねえ。」と、その話題で当然もちきりです。宴もたけなわというときに、レビは立ち上がって、自分がイエス様に出会ったこと、イエス様の声が耳に届いたとたんに、彼のうちに突然起こった心境の変化、これからはイエス様にどこまでもついていく所存であることなどを、証したことでしょう。いつもは神様のことばを聞く機会もない罪人たちですが、今日は、しんとなって聞いているわけです。
 その話を聞いて、取税人仲間のひとりは、
 「確かにレビは変わったなあ。目がちがうものね。・・・俺のようなはぐれ者、嫌われ者でも、神は愛してくださるんだろうかねえ。」と言ったり、貧しさから遊女に身を落としていた女のひとりは
「そんなこと、思いもしなかったわ。律法の先生たちは、あたいらみたいなのは地獄行きだといつも言っているものねえ。」
 イエス様はにこにことしていていらっしゃいます。取税人たちと食事などいっしょにすることなどありえないこととしてきた弟子たちは、最初は抵抗を感じてどきどきしていたのでしょうが、イエス様といっしょに彼らの宴席に連なっていると、内側から湧き上がる神の国の食卓の喜びを感じていました。イエス様がそこにいらっしゃるならば、罪人が集まった食卓も、おのずときよくなって、暗闇も光となってしまうのです。
 宗教改革者も指摘するように、これは聖餐式のひとつの型です。私たちは聖餐にあたって、自己吟味すべきです。それは、自分の神への愛が汚されていないか、自分の主にある兄弟姉妹への愛が汚されていないか、ということです。けれども、それを厳格に言い過ぎると、聖餐そのものの意味がなくなってしまいます。聖餐は罪ある私たちが、神の前に罪ゆるされたことを、ともに感謝するときであるからです。


3.罪人を招くために

 しかし、この喜びの宴席に水を差す人々が彼らをチェックしていたのです。最近話題になっているイエス様の周辺をかぎまわっていたパリサイ人たちです。彼らは、イエス様と弟子たちが取税人マタイの家にはいったのを目ざとくチェックしていました。そうして、窓の外からでしょうか、中庭の入り口からでしょうか、とにかく宴会の様子を見ていました。そして、次のようにいいました。

2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

 当時、神の民であるユダヤ人たちは外国人と食事をしてはならない、取税人罪人といっしょに食事をしてはならないとされていました。それが常識でした。まして、聖書の教師である者が、取税人たちと食事をともにするなどもってのほかとされていたのです。ところが、イエス様はレビに招かれると、弟子たちまでつれてすたすたとその屋敷に入っていき、食卓をいっしょに囲んでいたわけです。そして、宴会はいかにも楽しげで、イエス様も弟子たちも取税人もごろつきも遊女たちも、一緒に飲み食いしているのです。けれども、「私たちも仲間に入れてくれ」とパリサイ人たちは思いませんでした。逆に、とんでもないことだと怒ったのです。

 するとイエス様は、実に見事に彼らにお答えになります。

2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 まったく道理にかなったおことばです。「医者を必要とするのは確かに健康な人でなく病人です。」イエス様は医者として罪の病の中にある取税人、罪人たちを癒すためにやってきているのは当然のことです。
 イエス様の時代も同じく、祭司たち、律法学者パリサイ人たちは、神様のことばを厳密・厳格に守っているつもりの人たちでした。けれども、さまざまな経済事情から取税人とか遊女に身を落とした人たちは切って捨ててしまいました。・・・当時の道徳的に厳格なユダヤ社会のなかで、誰が好き好んで取税人や遊女になるでしょう。そういう職業を選べばひどく軽蔑されることはわかっていても、貧困のどん底、家族の事情があって取税人になってしまったり、飢えて一家もろとも死んでしまうよりはと親が泣く泣く娘を女郎に出したりしたという人々が大半だったでしょう。
 そういうかわいそうな境遇からその道に入らざるを得なかった彼らに、神の憐れみを伝えもせずに切り捨てて、自分たちは立派に宗教生活を送っていますという君たちは、主のみこころから遠く離れているんだ、」とイエス様は嘆かれるのです。
 マタイの平行記事には、彼らが大事にしている聖書から「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」という言葉を学んで出直してきなさい、と主イエスはおっしゃいました。いかに荘厳な宗教儀式で高価ないけにえをささげたとしても、もしその人が隣人に対するあわれみをもたない冷血漢であれば、神はそんないけにえは受け入れてくださいません。


むすび
 私は19歳でイエス様を受け入れて20歳で洗礼を受けました。父は次の歳に母とともに洗礼を受けました。父は50歳でした。洗礼準備会をしているとき、父が言いました。
「もう少しクリスチャンらしくなってから受けたほうが、ええんとちゃうかなあ」
父は月曜から土曜の自分の世俗の生活と、日曜日の自分のギャップを恥じていました。
「じゃあ、いつになったらクリスチャンらしくなるの?」と私は聞きました。
父は、「そうやな。やっぱり、洗礼受ける。」と言って洗礼を受けたのでした。
健康な人に医者はいりません。病人に医者が必要です。正しい人に救い主はいりません。主は罪人を救うために来られました。