苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

権力にかんする警告

申命記17:16−20
2016年5月12日 HBIチャペル


 恩師宮村武夫先生は「聖書というメガネで世界を見る」とおっしゃいます。今朝は、聖書メガネを用いて、現代の日本の政治状況をしっかりと見極めたいと思います。
 場所はヨルダン川の東側モアブの荒野です。イスラエルの民はモーセによって奴隷の地エジプトを脱出し、ついにここに至りました。しかし、モーセは約束の地に入ることが許されないので、最後に、民に向かって、「君たちは約束の地に入ったならば、こういうことに注意して生活をし、国を築いて行くように」と、もう一つの神から民に与える契約文書として申命記を残しました。お読みした箇所は、将来、王を立てる場合の注意点が記されています。
その中で特に「王」つまり権力者を立てるばあいの注意点が3つ記されています。
第一に権力者と軍隊。
第二に権力者と利権。
第三に権力者と律法(トーラー)。
古代イスラエルという神政政治の行われた国家の場合と、現代日本という世俗的な国家の場合とで異なる状況はもちろんあるので、区別は必要です。それでも、ここで権力について教えられる事柄には時代を超えて通じる類似点があります。そこで、私たちはここから神の御心を悟りたいと思います。

1 権力者と軍隊

 「17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。 17:17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」

 ここには王つまり権力者が、陥りがちな誘惑について三点記されています。つまり、自分のために馬を増やすこと。多くの妻を持つこと。権力を利用して私腹を肥やすことです。多くの妻を、というのは政略結婚と偶像問題の関連ですが、今回、それは措いて、「馬を増やすこと、私腹を肥やすこと」の危険性について考えましょう。
パレスチナという場所は東はメソポタミアという大文明圏、西南はエジプト王国にはさまれている場所で、両大国の圧迫を受けなければならない場所でした。ヨーロッパの地図で言えば、東にロシア、西のドイツという大国をもったポーランドのような位置にパレスチナはありました。
 創世記13章を見れば、紀元前2000年ころのアブラハムの時代には、パレスチナ都市国家群はメソポタミアの王ケドルラオメルたちに貢物を納め続けることが求められていました。また、紀元前15世紀のトトメス3世以降は、パレスチナはエジプトの影響下に置かれていて、ソロモンもエジプトから王妃を迎えたように、親エジプト政策がイスラエルの伝統的外交政策となりました。エジプトと結んで東方の仮想敵国に備えるのです。
 では、16節「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない』と【主】はあなたがたに言われた。」とはどういう意味でしょうか?ロバは平時の乗り物であり、「馬」は古代社会においては兵器を意味しています。いろいろ調べ考えましたが、結論を言えば、これは「エジプトと安保条約を結び、エジプトの軍事力の傘の下に置いてもらう代価として、国民をエジプトに奴隷として売り渡すな」という意味です。売国奴ならぬ売民奴になるな、と神は王に命じたのです。
 国民を守るべき王が、国体を守るために、国民を奴隷としてエジプトに売り渡すなどとは、まったくとんでもないことです。いくらなんでもそんなことをする王がいるでしょうか?しかし、古代イスラエルだけでなくそれがわが国近代の現実です。わが国では、先の戦争の後、北はシベリアで、南は沖縄でこうしたことが行われたのです。日本国憲法が施行された直後の1947年9月中旬、昭和天皇が沖縄を米軍の基地として占領し続けることを希望するメッセージを米国国務省あてに送ったという事実が、筑波大学教授進藤榮一が1970年代末に紹介されています。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球のほかの諸島を軍事占領し続けることを希望している。(中略)天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請がありしだい他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の―25年から50年ないしそれ以上の―貸与をするという擬制の上になされるべきである。 」
 沖縄県民を売り渡した昭和天皇が生涯ついに沖縄を訪問できなかったのは、もっともなことです。
一方、シベリアでは先の戦争が終わったとき、日本兵60万人が抑留され、6万人余りが極寒の地の劣悪な労働環境における強制労働で死にました。60万もの将兵がなぜおめおめと不可侵条約を破って侵攻して来たソ連に抑留されえたのでしょうか。「棄兵・棄民の責任を問う」という訴訟がなされています。大河原壽貴弁護士のことば。
終戦工作の中で、日本は、最低限「国体の護持」さえ維持できればよいとして、ソ連に対して「賠償として一部の労力を提供することには同意する」との提案をするまでに至りました。その結果、終戦後、関東軍総司令部からソ連側に対し、「次は軍人の処置であります…満州にとどまって貴軍の経営に協力せしめ其他は逐次内地に帰還せしめられ度いと存じます。右帰還迄の間に於きましては極力貴軍の経営に協力する如く御使い願いたいと思います。」などという提案がなされることとなりました(「ワシレフスキー元帥に対する報告」)。日本は、「国体」すなわち天皇制維持のために、ソ連に対し、旧日本軍の軍人・軍属を労働力として提供したのです。これが日本による棄兵政策です。」
 そして昨年9月には、現政権は暴力的採決をもって、憲法9条を踏み越えて、わが国の防衛とは関係ない「宗主国」の戦争に、日本の自衛隊員を使役してくださいと差し出すことを可能にしました。これは当然違憲ですから、政府は、7月の参議院選挙に勝てば憲法を変えようとしているのです。これも本質的に、権力者が「馬を得るために、その民をエジプトに帰す」行為にほかなりません。


2 権力者と利権

 さらに、権力者である王は「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」と命じられています。今も昔も、権力者には、それにすり寄って金儲けをしようとする人々が近づいてくるものです。「越後屋、おぬしもワルよのう。」とか言いながら、悪代官がずっしり重い菓子折りを受け取るという図が水戸黄門でよくあるでしょう。権力者の腹一つで、公共事業という甘い汁を飲ませてもらうことが出来るので、貪欲なシロアリが寄ってくるのです。
 普通の商談の接待とちがって、政治家や官僚といった権力をもつ人々は決してワイロを取ってはならないのはなぜでしょう。一つの理由は彼らが動かせる莫大なお金は国民からあずかった税金であって、彼らの所有物ではないからです。もう一つの理由は、欲に目がくらむと正しい判断ができなくなり、国の前途を誤るからです。箴言17:23に次のようにあります。

17:23 悪者は人のふところからわいろを受け、さばきの道を曲げる。


 幣原喜重郎首相がマッカーサーに提案して実現された憲法9条をもち、平和主義を国是とするわが国は、武器輸出三原則で長年にわたり武器輸出を厳しく制限してきました。しかし、経団連をはじめとする業界団体は、長年にわたって「もっと兵器を作って輸出させろ」と政府に圧力をかけてきました。特に、先の福島での原発事故で国内で原発を新設する望みが絶たれて後、その動きが激しくなりました。そして、ついに、現政権は一昨年四月、武器輸出を可能にしてしまいました。
 その見返りはなにか。官僚の天下り先の確保と自民党への献金です。2014年度、表に出された数字では、軍需産業トップ10(三菱重工三菱電機川崎重工日本電気IHI富士通小松製作所東芝、JX日鉱日赤エネルギー、日立製作所)に防衛省自衛隊からの天下り64人に上ります。天下りとは後払いの合法的賄賂です。そして、これら企業からの年間調達額は7929億円で、さらにふえていこうとしています。そして表に出ているだけで、与党自民党に1億5千万円が政治献金として戻っています。しかも、これは軍事・外交にかんする事項なので、今後はすべて特定秘密に指定されて賄賂もらいたい放題となりました。
 政治家であれ官僚であれ、賄賂を受け取れば、賄賂を提供してくれた会社や個人に有益な法律を作ったり、情報を流したりして「さばきの道を曲げる」ことになるのです。それゆえ神は、「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」と命じたのです。


3.立憲主義

 権力者が、覇権欲(軍備拡大)と私利私欲に暴走して国民と隣国民を不幸にしないために、神は権力者に鎖を付けました。王は律法の下に制限されてこそ、公正な政治を行えるのです。18−20節
 

「17:18 彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、
17:19 自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、【主】を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。
17:20 それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」

 後に、サウル王、ダビデ、ソロモンと王たちが立てられ、南北朝時代となり、王たちが次々に立てられていく行くわけですが、もし彼らが申命記に記されているところにしたがって謙遜にその務めを果たしたならば、イスラエルの歴史はもっと幸いなものとなったでしょう。
 権力者は最高法の下に制限され、その制限下で国を治めなければならないという仕組みを立憲主義といいます。こうした立憲主義が意識され始めたのは、英国中世のマグナカルタ以降で、確立したのは18世紀です。17世紀、ヨーロッパは絶対王政の時代でした。フランスのルイ14世が典型的で、「朕は国家なり」言い換えれば、「私が法律だ」というわけです。当時は、王は神に立てられた者であるから、王は自分に気に入らない人間は逮捕して処刑にしてもよいという時代でした。
 権力者の横暴から、神が人間にくださった基本的な権利を守るための装置が、近代国家における憲法です。たしかに神様はローマ書13章にあるように、権力者に対して剣(警察権)をあたえて、暴力団のやりたい放題のような世の中になってしまわないように摂理しておられます。けれども、他方、黙示録13章が言うように、権力者がサタンから力と位と権威を受けて傲慢になり、暴走することがあります。そこで、権力者を制限する必要があります。本来、国家権力は国民の役に立つ番犬なのですが、その番犬は獰猛なので鎖をかけておく必要があります。その鎖が憲法です。
 近代のもろもろの人権宣言文の背景には啓蒙主義思想があるとはいえ、それらは絶対王政に抵抗して起草されたものであり、その内容の基本的人権とは、創造主がご自分の似姿として創造なさったすべての人間に与えている権利と重なっている部分が多いのです。日本国憲法は,思想・信条・表現の自由など自由権生存権などの社会権参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権などを、基本的人権としています。権力者は、基本的人権を犯さぬように憲法の制限下で、国を治めるのです。権力者が、憲法に反する法律を立てて、国民を支配してはならないのです。
 この立憲主義の根本原理は、ヨーロッパの歴史において立憲主義が確立する18世紀よりはるか前に、申命記において啓示されていたのです。
 
結び
 番犬はたしかに有用です。しかし、番犬が鎖を引きちぎれば主人に噛み付き、近所の人にも噛み付くでしょう。国家はローマ書13章で言われるように、神が社会秩序を維持するために立てたものとして有用なものです。私たちは権威ある人々を重んじるべきです。 国家にとっての憲法は、番犬にとっての鎖です。
 政府与党はまもなく行われる7月の参議院選挙において勝利して、権力者をしばる憲法を、国民を縛る憲法へと作り替えようとしています。私たちは、この時代のこの国に使わされた神の民として、この国の権力者が悪魔の影響から解放され、正常化するように熱心にとりなし祈らなければなりません。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」2テモテ2:1,2