苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき

ルカ1:40
エリサベツがマリヤの挨拶を聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。

 御使いから受胎告知を受けてマリヤはナザレからユダの山地の町に向かい、親戚のエリザベツに会いに行った。エリサベツはその胎に後にバプテスマのヨハネと呼ばれる児を宿していた。胎児であったヨハネは、まだ細胞分裂をし始めてまもない主イエスに会って欣喜雀躍した。
 私たちは聖書を読み、あるいは聖書のメッセージを聞いて、主イエスの事跡を学び、たしかにこのお方が神の御子であられるということを納得して信じたと思っているけれど、そして、そういうプロセスは大事だけれど、実は、主イエスを知るということ、主イエスと出会うということは、人間の理解を超えたこと、つまり、神からの啓示なのである。

聖霊によるのでなかれば、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(1コリント12:3)