苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

目を覚まし、注意していなさい。

通読 マルコ13:14−37、民数32,33章

気をつけなさい。目を覚まし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。(マルコ13:33)

 弟子たちが豪壮なヘロデ神殿に目を丸くしていると、こんなものは早晩崩されてしまうのだとお話になったことをきっかけに、主の再臨間近な終わりの時代に起こることどもについてしるしを話された。

 一般的前兆・・・偽キリストたち、戦争・民族紛争、地震・飢饉
 教会の前兆・・・教会弾圧、福音が全民族に証しされる、大規模な背教
 「荒らす憎むべきもの」の出現と苦難

 主イエスは、このように前兆についてお話しになったけれども、「定めの時がいつだか、あなたがたは知らない」とおっしゃる。考えてみれば、「前兆」は、解釈のしようによって、ある程度はいつの時代にも繰り返し現れている。主イエスの話はまことにたくみで、恐らくどの時代のどの地域のキリスト者が読んでも、「主の再臨は間近ではないか」という意識を持つようにと意図されているように思われる。前兆は、寄せては返す波にも似た「産みの苦しみ」のように、繰り返し訪れて、最後にオギャアと本物がやってくる。だから、どの時代のキリスト者も目を覚まし、注意していなければならない。いつ主が来られてもよいように。自分としては、それができないから、祈らないではいられない。「今日、あなたがおいでになったとしても後悔のない生き方をさせてください。」と。