苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

三人のキャスターの排除と黙示録13章

また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。(黙示録13章1節)
また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。(黙示録13章11節)

 黙示録13章では、権力者が「海からの獣」に、悪魔が「竜」に、そして、権力者にへつらう偽預言者が「地からの獣」に擬されている。権力者が悪魔から「力と位と大きな権威」を受けると、彼は独裁者となり神と神の民をけがすことばを吐く。また彼はあらゆる部族、民族、国語、国民を支配する覇権を渇望する。そのとき、「権力者が右という者を左というわけにはゆかない」という偽預言者は、民を巧みな言葉と不思議な術をもって洗脳し、すべての人に権力者の刻印を受けさせ、刻印を拒否する者が買うことも、売ることもできなくしてしまう。その数字は666。
 黙示録13章の記事は、古代教会時代のローマ帝国の状況を描きつつ、主の再臨が近い時代における悪魔と権力者と偽預言者のふるまいについて述べている。だが、これは実は、あらゆる時代・地域における独裁化した権力の危険性を教えているのだと読むべきだと考える。戦前のドイツでは宣伝相ゲッベルスとか「ドイツ的キリスト者運動」が地からの獣の役割をになった。共産党独裁下のソ連では、プラウダ(真実)という名の新聞が偽預言者の役割をになっていた。戦時下の「美しい国」日本では大新聞が大本営発表を垂れ流す偽預言者の役割を果たした。
 この3月、権力に物申す三人のキャスターがテレビから排除されるという。そんな時代が再来しそうな気配を感じている。こういう時代になると、国内のメディアは信用できなくなってしまう。

杉江義浩氏のオフィシャルブログから
http://ysugie.com/archives/4892

キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断定した。

英国大手新聞の「ガーディアン」紙と「エコノミスト」紙が、これほど大々的にかつ詳細に、日本の3番組キャスター同時降板劇を取り上げるとは、ちょっと驚くと同時に、改めてことの重大さを思い知りました。3番組キャスターとは、テレ朝「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスター、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター、TBS「NEWS23」の岸井成格キャスターの3人のことです。いずれも時には政権批判も辞さない硬派のニュース解説番組として、そして各キャスターは日本の報道機関を代表するジャーナリストとして長く活躍し、期待されてきました。つまり批判される側の政権にとっては、彼らは目の上のたんこぶだったのです。

夏の参議院議員選挙を控えた大切なこの3月という時期に、彼らが相次いで番組のキャスターの座を奪われることは、マスコミによる政権を監視する重要な機能が、大きく損なわれることを意味しています。彼らの降板劇の背景には安倍政権の首相官邸、特に菅官房長官からの直接的または間接的な、報道機関への圧力や要請があったものと国内でもウワサされました。僕もこのサイトで「古舘伊知郎さんの降板の本当の理由」という投稿を紹介し、このウワサは真実であると断定する論調で述べたところ、関係者からその投稿を削除して欲しいと要請がありました。残念なのは、この官邸による言論封殺事件が、日本国内ではウワサ話レベルで済ませられていることです。それは即ち日本の民度の低さをあらわしています。

英国では大衆紙もたくさんありますが、一般紙「ガーディアン」や経済紙「エコノミスト」といえば、世界的に発言力のある質の高いクオリティ・ペーパーです。「ガーディアン」は2月17日付で、「政治的圧力のなか日本のTVアンカーたちが降板する」(Japanese TV anchors lose their jobs amid claims of political pressure)というタイトルの記事を公開しました。3人の名前と番組名を具体的に挙げて、それぞれ降板に至る経緯を説明する内容は、日本のどの記事よりも明快でした。また先日の高市早苗総務相が「停波」をちらつかせた点も問題視しています。

さらに「エコノミスト」も2月20日付で古舘氏、岸井氏、国谷氏の番組降板問題を大きく取り上げました。タイトルは「日本におけるメディアの自由 アンカーたちがいなくなった」(Media freedom in Japan Anchors away)で、記事では、冒頭から“日本の標準から見れば力強く政権批判を行う司会者である3名がそれぞれ同時に番組を去るのは、偶然の一致ではない”と断言していて、降板の背景を深く掘り下げて報じています。

2005年、安倍は、NHKスタッフに戦時中の従軍慰安婦についてのドキュメンタリー番組の内容を変更させたことを、自身で認めている。
安倍が2014年暮れに突如、総選挙をぶちあげたとき、自民党は東京のテレビキー局に対して、報道の「公平中立ならびに公正の確保」を求める文書を送りつけた。
また、安倍は公共放送NHKの会長に、オトモダチの保守主義者である籾井勝人を据え、編集方針に影響を及ぼそうとしているとして非難されている。
報道関係者を懲役5年以下の刑に処すことを可能にした2013年の特定秘密保護法の成立と同様、メディアへの脅迫の企ても日本の国際的評価を打ち砕いた。

ここまで「エコノミスト」が外国のジャーナリズムに言及するのは、極めて異例のことです。さらに国谷裕子氏の降板の理由についても、日本のマスコミのようにベールに包むことなく、キッパリとこう断言しています。

官房長官は、ジャーナリストの質問に対して事前通告を要求し、報道組織を厳しく監督することで知られる。だが、インタビューの中で国谷キャスターは、無謀にも新たな安保法が日本を他国の戦争に巻き込む可能性があるのではないかと質問した。イギリスやアメリカのテレビの、政治家との口角泡を飛ばすような激しい議論の基準からすれば、国谷氏と菅氏のやりとりは退屈なものだった。しかし、日本のテレビジャーナリストというのは、政治家に対してめったにハードな疑問をぶつけたりはしないものなのだ。菅官房長官の取り巻きたちは彼女のこうした質問に激怒した。

まるでNHKの中にいて、見てきたかのような書きっぷりですが、実に的を射た記事です。なぜならNHKにおいて「クローズアップ現代」を担当するトップである大型番組企画センター長と、放送全体のトップである放送総局長がそろって国谷キャスターの続投を上申する中、降板が強行されたのは事実だからです。なにしろこの二人の上には会長と役員しかいませんから、なんらかの政治的圧力が経営陣にかかっていたと見て間違いないでしょう。英国ではさらに20日付けの「インディペンデント」紙も、これらの問題を取り上げています。それぞれウェブ版で出ていますから、英語が読める世界中の人に、日本の報道のあり方が問いかけられてしまったのです。

なぜ遠く離れた英国の新聞社が、わざわざ極東のテレビ番組の状況について、その問題点を指摘したのでしょうか。日本をはずかしめるためでしょうか。決してそうではありません。彼らには真のジャーナリズム精神を守りぬく矜持があり、編集権の独立が奪われる状況に対して、同じ報道に携わる者として看過できない事態だと感じたからです。そしていずれの国においても、時の政権と報道機関の関係について語ることは、普遍的に重要だと考えたからなのです。
国境なき記者団」という国際NGOがあります。そこでは世界180の国と地域の報道状況を分析した、「報道の自由度ランキング」を毎年発表しています。それは報道の自由に対する侵害について、法的支配やインターネット検閲、ジャーナリストへの暴力などの項目で調査されており、侵害度が大きいほど順位が低くなります。当然のことながら北朝鮮などは最下位です。おおむね北欧が順位が高く、自由の国アメリカは最近は、エシュロンによるインターネット検閲の影響でヨーロッパ勢よりはやや落ちますが、基本的には常に上位にいます。日本はどうでしょうか。

日本のランキングは2002年から2008年までの間、20位代から50位代まで時代により推移してきましたが、民主党政権が誕生した2009年から17位、11位とランキングを上げました。2008年までの間は欧米の先進諸国、アメリカやイギリス、フランス、ドイツと変わらない中堅層やや上位を保っていましたが、民主党政権誕生以降、政権交代の実現という社会的状況の変化や、政府による記者会見の一部オープン化もあり、2010年には最高の11位を獲得しました。しかしながら、2011年の東日本大震災福島第一原発事故の発生の後、2012年のランキングでは22位に下落、2013年には53位、2014年には59位を記録しました。そして昨年2015年には、ついに過去最低の61位までランキングを下げる結果となったのであります。

「日本は好きなことを自由に言える良い国だ」と思っていた人には、意外に低くてショックだったかもしれません。原因はおそらく震災以降、原子力ムラでの発表報道が不透明で、偏っていることが関与しているのだと思います。特定秘密保護法も影響しているでしょう。日本の言論の自由は決して世界的に見て高くはなく、むしろ「顕著な問題あり」のレベルまで落ち込んでいることを、ジャーナリズムに関わる人間は、しっかりと心に留めなければいけません。安倍政権の報道への干渉は、決してウワサ話などではないのです。そして不自由な環境を跳ね飛ばす気概と矜恃を持って、あえてチャレンジする報道、を心がけていかなければ、あっという間に戦時中の「大本営発表」の時代に逆戻りしてしまうのです。