苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

富める青年

通読 マルコ10:13−34、民数5,6章

10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
10:18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。
10:19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
10:20 すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」
10:21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
10:22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。
  10:23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」
10:24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。
10:25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
10:26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
10:27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
10:28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
10:30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
10:31 しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」

 前にも書いたことがあるが、この弟子志願の人が誰であったか気になってならない。彼は青年と呼ばれ(マタイ10:22)、金持ちであり(マルコ10:22)、役人だった(ルカ18:18)。宗教生活については、彼は律法を完璧に守っているという自負があった。そんな育ちのよい青年である彼を、主イエスはいつくしみの眼差しをもって見つめつつ、青年の律法遵守は「隣人を自分自身のように愛せよ」という要求を本当の意味では満たしてはいないことを露わにされた。
 彼は失意のうちに去って行く。だが、主イエスは彼が神の国に入ることについては、「らくだが針の穴を通るよりもむずかしい」と言いつつも、神にできないことはないとおっしゃった。つまり、あの青年だって神の国に入ることができるとほのめかされた。そして最後に、ペテロの献身を認めつつ、「しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」とおっしゃった。文脈上、「先の者」とはペテロであり、後の日にペテロの先になる「あとの者」とは富める青年をさしていると思われる。
 もし、あの青年とプロフィールとして重なる人物を聖書でさがすとすれば、やっぱりパウロだろう。だが、聖書のどこにもそう書かれてはいない。