苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「すぐ」

通読箇所 マルコ1:21−45  レビ記16−18章

1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。

1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。

1:18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

1:20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。
1:21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエス安息日に会堂に入って教えられた。

1:23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。

1:28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。
1:29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。

1:42 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
1:43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。

 マルコによる福音書の1章の中には、10回も「すぐに」という言葉が出てくる。「すぐに」は彼の口癖だ。マルコは何を急いでいたのだろう。エルサレムのお屋敷に住むぼんぼんだった(と私が想像する)マルコは、小さな頃から母親から「すぐにしなさい」といつも言われていたのだろうか。それとも、彼自身、気が短い人なのだろうか。
 クリスマスの記事もなく、大急ぎで十字架に向かって駆けていくイエス。そういう印象。