苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

子があなたに尋ねて

通読箇所 マタイ19:1-30、出エジプト12,13章

出エジプト13:14
後になってあなたの子があなたに尋ねて、「これはどういうことですか。」という時は、彼に言いなさい。「主は力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから連れ出された。・・・」

 毎年毎年過越祭の小羊のいけにえをほふり、鴨居にその血を塗るということをしていれば、必ずその意味を子が尋ねる日が来る。そのときには、こう答えよという。エジプト脱出の際、主がエジプトの初子を打たれたとき、過越しの小羊によって贖いをなした者たちの家々の初子たちは無事だったのだ、と。小羊が身代わりとなったのだ、と。
 主への真の信仰は個人に止められるものでなく、世代から世代へと継承されるべきものであるということ。また、子が「これはどういうことですか?」と問うのを待つということ。
 儀式というものの意味。ことばは大切であるが、主がお定めになった儀式もまた意味あるものであるということ。身をもって、出エジプトの際の出来事を経験する機会として過越祭はあった。今日、聖餐にあずかるとき、私たちはあの夜、主イエスを囲む弟子たちが経験したことを、ゴルゴタの十字架のもとで弟子たちが経験したことを追体験する。