苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

安息日の理解

通読箇所マタイ12:1-21、創世記36,37章

マタイ12章14節
文語訳
パリサイの人いでてイエスを殺さんと謀れり

口語訳
パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。

新改訳
パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。

 パリサイ人たちが何を問題にしたのかというと、主イエス安息日理解と自分たちの理解のズレである。彼らは、主イエスの弟子たちが安息日に会堂に向かう途上、麦の穂を手に取って手でもんで食べたことが、脱穀という労働にあたるから安息日破りだと非難した。また、安息日の礼拝後、その場で手のなえた人をイエスが癒したことは、医療行為という労働にあたるから安息日破りだと非難した。ところが、皮肉なことに、彼らは安息日に自分たちが人殺しの相談をしていることが安息日の戒めに反することに気づかなかった。ブヨを漉して飲みながら、ラクダは飲み込んでしまうのだ。
 規則というのは有用なもので尊重すべきだけれど、規則中毒は害をなす。すべての規則(もろもろの刑法や民法であれ、赤信号はストップという交通規則であれ、靴下の色についての校則であれ)は、神を愛することと、隣人を愛するという大目的のために定められたことを忘れないで、これを理解し適用するのが肝心。