苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

立ってベテルに上り、そこに住みなさい。

通読箇所 マタイ11:2-30、創世記34,35章

35:1 神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
35:2 それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。
35:3 そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
35:4 彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。

 家族と家畜を引き連れてカランの地から故郷に帰ったヤコブは、31章で追いすがる義父ラバンと決着をつけ、32章で戦々恐々としながら、兄エサウとの再会を神の守りによって果たした。次に、ヤコブの戻るべき場所はベテルであった。ヤコブが兄から逃れてカランに旅立つとき、石を枕にして寝ているヤコブに主が現れて、必ずこの地に戻してくださると約束してくださった場所、そこがベテルである。ベテルとは、bet(家)el(神)つまり、神の家という意味である。
 ところが、ヤコブはただちにベテル戻ろうとせず、シェケムの町のそばに宿営した(33:18)。そして34章には、娘のディナがふらふらとシェケムの町の娘たちのところに出かけて、町の領主の息子に陵辱されて、これに怒った息子たちが町の人々にはなはだしい復讐をするという事件を引き起こしてしまった。ヤコブの一族はカナンの地の住民たちの敵意を買ってしまった。
 その後、本日の聖書箇所にあるように、ヤコブはベテル(神の家)に上った。ヤコブが故郷に帰還してすぐにベテルに上らなかったのにはわけがあった。それはカランの地から連れてきた彼の家族は異国の神々の偶像やお守りの類を持ってきていたことである。そういう状態のままベテルに上ることは、主なる神に対して相応しくないとヤコブは良心の呵責を感じていたからである。さりとて家族の者たちに、偶像やお守りの類をみな捨てよと命じる決心がつかないでいた。その結果が、シェケムでの騒動であったことを思うと、シェケム事件の責任のいくばくかはヤコブにあったと言わねばならない。
 ヤコブは、こういう事態になって、ようやくすべての偶像と手を切り、主とともに生きる決心がついて、ベテルに上ることになった。ここでもヤコブは主の訓練を受けたのだった。ベテルは「神の家」、教会を象徴しているようにも読めるところ。