苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

地に向けてかけられた梯子

通読箇所マタイ9:18−38、創世記28,29章

創世記28:12
口語訳
時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。

新改訳
そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

新共同訳
すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

 ヤコブは父を騙して兄エサウの祝福を奪い取ったことによって、兄の恨みを買うことになってしまい、母の故郷に向かって杖一本もって逃避行しなければならなくなった。やがて日は落ちて、一人ぼっちのヤコブは石を枕にして寝ようとする。岩砂漠には枕に結ぶ草もない。日没とともに気温は急激に落ちて震え上がるほどであり、闇の向こうには野獣たちの目が煌煌と光って、こちらを見ている。憎しみに満ちた兄が追ってくるのも恐ろしいが、その前に獣の餌食になってしまうかもしれない。
 とはいえ大急ぎで歩きに歩いてここまでやってきて、疲れたからだのヤコブは眠りに落ちて夢を見た。天に届く梯子の夢である。梯子の記述について翻訳が面白い。口語訳は「はしごが地の上に立っていて」と訳しているが、新改訳は「はしごが地に向けて立てられている」とあり、新共同訳は「階段が地に向かって伸びており」と訳している。梯子はふつう地に立て上にあるものに届かせるものであると思うが、新改訳、新共同訳は上から下にかけた梯子というふうに翻訳している。ヘブル本文では地(アレツ)の後ろにhをつけて方向を示すので、口語訳も新改訳も可能だろう。ただ新共同訳の「向かって伸びており」は訳しすぎであろう。新改訳に感心して、さらにその線で強調したと思われる。
 つまり、ヤコブは四面楚歌であったが、天が開けていて、上から下に向かって神の救いの梯子が伸ばされているというメッセージを、新改訳と新共同訳は意図してこのように訳したのであろう。ヤコブは掴む人、奪う人、押しのける人、下から上に向かってもがいて上ろうとする人だったが、挫折して地に伏しているところに、上から下に向かって神の救いの手が伸ばされた。私たちは自分に挫折しなければ、なかなか恩寵を悟れない。