苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月30日  主の真実は変わらず

列王記上8章57節

新共同訳
わたしたちの神、主よ、わたしたちを見捨てることも、見放すこともなさらないように。

 祈り自体を読むならば、よくあるというか、自分自身このように祈ることがあると思われる祈りである。だが、これは神殿奉献に際してのソロモン王による祈りであると知ると、なんとも残念な思いになる。神から民を統治するための知恵を授けられ、王国に栄華を来たらせるソロモンだが、あまたの政略結婚で異邦からやってきた嫁たちの携えてきた偶像に心を奪われてしまうことになり、神の怒りを買って王国分裂の種を蒔いてしまう。サウルもそうだったが、ソロモンはもっと大規模な竜頭蛇尾だった。
 だが、よく考えると、主はイスラエルを見捨てることも見放すこともなさらなかったのである。だからこそ、イスラエルには申命記に記された契約どおりのことが起こり、王と民とが罪に陥るたびに災いに悩まされ、ついには、外国軍によって滅ぼされ、捕囚の憂き目にあわせられることになる。もし見捨てられたならば、偶像崇拝と社会的不公正に満ちた国は放置されて、「繁栄」を続けたであろう。
 主の契約の真実は変わらない。だが、願わくは、主の忌み嫌う道を歩んで契約に基づくのろいを受けるのでなく、主の喜び給う道を歩み、契約に基づく祝福を受けることができますように。