苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月16日

イザヤ62:6

口語訳
エルサレムよ、
わたしはあなたの城壁の上に見張人をおいて、
昼も夜もたえず、もだすことのないようにしよう。
主に思い出されることを求める者よ、
みずから休んではならない。


新改訳
エルサレムよ。
わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。
昼の間も、夜の間も、
彼らは決して黙っていてはならない。
【主】に覚えられている者たちよ。
黙りこんではならない。


新共同訳
エルサレムよ、
あなたの城壁の上にわたしは見張りを置く。
昼も夜も決して黙してはならない。
主に思い起こしていただく役目の者よ
決して沈黙してはならない。

 バビロン捕囚の後にエルサレムが回復してからは、この町の守りのために、主は見張り人を置くという。その見張り人が誰を何を意味するかについては、解釈者で意見が割れるようだ。そもそも何を見張るのか?ふつう城壁に立つ見張り人といえば、外敵をいち早く発見して、町の人々に告げる者だろう。しかし、エルサレムがかつて滅びた根本理由は、東方の外敵のせいではない。自らの偶像崇拝と社会的不公正という、神の前における罪であった。とすると、この見張り人とは、王や長老や民たちが神の戒めから逸れて行かないかを見張る見張り人を意味していると考えるべきだろう。つまり、主のみことばをあずかる預言者たちである。
 昼も夜もサタンのエルサレム今日で言う教会に対する誘惑は収まることを知らない。だから、時がよくても悪くても、みことばを語り続けなければならぬ。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2テモテ4:2