苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン 9月15日  旅立ち

創世記12:4a
口語訳
アブラムは主が言われたようにいで立った。

新改訳
アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。

新共同訳
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」

 新改訳の「出かけた」では、なんだかその辺に散歩に行ったという感じがする。「いで立った」はちょっと古めかしい。ここは新共同訳の「旅立った」がよいように思う。
 アブラハムの旅立ちの記事は、私にとって特別である。この南佐久郡小海に開拓伝道を志して立って来たとき、なにか見通しがあったわけではない。ただ神学生時代に与えられた「福音の届いていない人々に福音を。教会に行きたいと思っても行くことのできな人々のいる地域に教会を。」という「葦原の志」が十年たっても心から去らなかったので、これはみこころなのだと信じて立つことにした。
 病身の母、1年生になる長男、生後三ヶ月の娘がいっしょだった。家内は主から詩篇23篇の「まことに私のいのちの日のかぎり、慈しみと恵みとが私を追ってくるでしょう。」というみことばが与えられて、従ってくれた。あれからすでに二十一年。主は真実であられた。

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11章8節)