苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン9月11日   あらゆる民族を超えて

ゼカリヤ書2章11節
口語訳
その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わたしはあなたの中に住む。


新改訳
その日、多くの国々が【主】につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。


新共同訳
多くの国々は主に帰依して、わたしの民となる。わたしはあなたがたのただ中に住まう(2章15節)

 「あなたはわたしの民となり、わたしはあなたとともに住む」というのは、創世記から黙示録末尾まで首尾一貫した、神のその民に対する契約の主題である。旧約時代、その「あなた」は血統によるアブラハムの子孫、ヤコブの子孫に限られていたが、ゼカリヤは新しい契約の時代、それは民族・国語を超えたものとなると預言した。神が唯一の万物の創造主であられるから。「すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになります。」(ローマの信徒への手紙10章12節
 その約束の成就ゆえに、主イエスは世界宣教命令を私たちに与えられた。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」

 英国に住む友人から、「渡航に失敗したシリア難民の男の子が浜辺に打ち上げられた映像を見て、マスメディアは難民受け入れを拒んできたキャメロン首相に「恥を知れ!」と迫り、英国もシリア難民受け入れを表明することになった。だが、日本人はまったくこの件、他人事としか捉えていない。クリスチャンでさえそうである。この閉鎖性はなんなのか?」と問われた。
「聖なる公同の教会」という告白が自分も身についていないのだと思った。