苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月27日  神を敬うには

箴言14章31節
口語訳
貧しい者をしえたげる者はその造り主を侮る、


新改訳
寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、


新共同訳
弱者を虐げる者は造り主を嘲る。

 ヘロデ大王ローマ皇帝アウグストゥスのご機嫌をとって、その大王としての地位を獲得したという。サンヒドリンもローマの意向を慮りながらその地位を保っていた。帝国は属州の統治のために属州のエリートたちを手足として用いた。この世の権力者は、彼に近い立場の富者に親しくし、寄る辺なき者には鼻もひっかけない。
 ところが、造り主は「貧しい者」「寄るべのない者」「弱者」に格別目を留められる。いや、目を留めるというよりも、神は貧しい者と一体化なさっているというほど近しくあられるという観がある。神の御子は、宮廷や富豪の邸宅にではなく、ベツレヘムの馬屋に人として生まれた。最後の審判の日、主は戻ってこられて、『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。また、『これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』とおっしゃって、さばきを行われる。 アブラハムの懐にいだかれたのは乞食のラザロであって、紫布の商人は黄泉の炎に焼かれた。これが現実。目の曇りをふき取って、神を敬う生き方をしたい。