苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

番犬と鎖

申命記17:16−20

はじめに
 2年前の2013年の8月11日、私はこの箇所から「憲法・平和・王」と題して説教をしました。自民党憲法改正草案に基づいて、安倍政権が軍備拡大をして外で戦争できる普通の国を目指しており、そのため基本的人権の制限をもくろんでいると話しました。その後、憲法改正を正面からできないと見た政府は、昨年、集団的自衛権行使は合憲という前代未聞の閣議決定をし、その具体化として「安保関連法案」を提出し、衆議院強行採決し、現在、参議院に付されています。
 この法案は、憲法9条に明記された戦争放棄の国是をないがしろにして、「積極的平和主義」の看板のもとに、「存立危機事態」とか「重要影響事態」だと権力者が解釈したなら、自衛隊が事実上、戦争できるようにするものです。今、この日本に遣わされたキリスト者として、聖書に基づいて、この問題をどう理解し、どう祈るべきかということを御言葉に耳を傾けて悟りたいと思います。

  場所はヨルダン川の東側モアブの荒野です。イスラエルの民はモーセによって奴隷の地エジプトを脱出し、ついにここに至りました。しかし、モーセはひとつの罪ゆえに、約束の地に入ることが許されないので、最後に、民に向かって、「君たちは約束の地に入ったならば、こういうことに注意して生活をし、国を築いて行くように」と聖霊によって説教をしたのです。それが、この申命記という書物です。その教えの中で、特に「王」つまり権力者を立てるばあいの注意点がここに記されています。


1 安保と軍備拡大

 「17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。 17:17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」

 ここには王つまり権力者が、陥りがちな誘惑について三点記されています。つまり、自分のために馬を増やすこと。多くの妻を持つこと。権力を利用して私腹を肥やすことです。多くの妻を、というのは、今回は措いて、馬を増やすこと、私腹を肥やすことについて考えましょう。
 パレスチナという場所は東はメソポタミア、西南はエジプトにはさまれている場所で、大国の圧迫を受けなければならない場所でした。創世記13章を見れば、紀元前2000年ころのアブラハムの時代には、パレスチナ都市国家郡はメソポタミアの王に貢物を納め続けることが求められていました。また、500年後のモーセの時代はパレスチナはエジプトの影響下に置かれていました。ソロモンもエジプトから王妃を迎えています。そのあと、イスラエルは基本的に親エジプトの態度で、メソポタミアからの圧力に抗するという政策を採って行きますが、東方からのアッシリヤによって北王国は滅ぼされ、南王国は新バビロニアによって滅ぼされてしまいます。
 では、16節「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。」とはどういう意味か?古代社会でロバは平時の乗り物であり、馬は戦時の乗り物つまり兵器を意味していました。ですから、ここで言わんとすることは、王は、エジプトと安保条約を結び、エジプトの軍事力の傘の下に置いてもらう代価として、国民をエジプトに奴隷として売り渡すなということです。国民を守るべき王が、国防のため、軍事力拡大のために、国民を奴隷としてエジプトに引き渡すなどとは、まったくとんでもないことです。
 しかし、私たちの国では米軍基地のために沖縄県の人々に非常な理不尽な犠牲を強いているわけです。日本国憲法が制定された翌年1947年9月、昭和天皇は米国国務長官に対して手紙を書き、沖縄を米軍基地のためにお渡ししますという趣旨の手紙を書いたのです。
 今、現政権は、隣国の脅威を喧伝し、「集団的自衛権を行使して、米国の戦争を手伝え」という米国の要請に応じて、憲法9条の解釈をむりやりに捻じ曲げて、はるか遠い地域での戦争を可能にしようとしています。国会では政府は「武力行使はしない。必要なとき武器の使用をするだけだ」と屁理屈をこねていますが。・・・これは筋の通らない話です。ほんとうに近隣諸国が危険だというならば、なおのこと日本の周辺を固めることが必要なのですから、遠くまで出かけていって他国の戦争の手伝いをするための集団的自衛権などいらないからです。ですが、それ以前に、ここ数年で破壊した隣国との友好関係を回復するために外交努力することがもっと大事です。
 4月30日、安倍さんは米国の議会で演説をしましたが、首相は米国に二つの約束をしてきました。1つは、アメリカの戦争の手伝いをできるようにする安保法案をこの夏までに成立させるということです。もう1つはあまり報道されていませんが、米国のForeign Policyにこのように報道されています。「。安倍首相は、アメリカ製のF-22S、F- 35S、およびグローバルホーク無人偵察機などの新しい戦闘機や、海軍艦艇、そしてドローン等々を、2014年と2019年の間に、2400億ドル(30 兆円、一年6兆円)を費やすことを約束しました。」
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
 戦後70年談話では「平和」を語りながら、実際には、急速な軍備拡張を行っているのです。


2 権力者と利権・・・政官軍産複合体

 さらに、権力者である王は

「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」

と命じられています。今も昔も、権力者には、それにすり寄って金儲けをしようとする人々が近づいてくるものです。「越後屋、おぬしもワルよのう。」と言いながら、悪代官が悪徳商人からずっしり重い重箱を受け取るということが昔からありました。権力者の腹一つで、ビッグビジネスという甘い汁を飲ませてもらうことが出来るので、その利権を求める人々がくっついてくるわけです。政治家や官僚といった権力者がワイロを取ってはならない理由は、欲に目がくらんで正しい判断、合理的判断ができなくなるからです。
 現代のわが国でいえば一基が4千億円から六千億円もする原子力発電所などは、その最たるものでした。先週、鹿児島の川内原発は蒸気発生器という重要部品の欠陥が指摘され、免震重要棟は設置なく、住民の避難の経路もなく、専門家に活断層原発の直下を通っている可能性が高いと指摘され、火山の大噴火も懸念されています。それなのに先週再稼動にGOサインが出されました。合理的な判断ではありません。原発のライセンスを提供している米国のメーカー・電力会社・原発メーカー・地元の有力者・政治家・官僚・大学教授たち・マスメディアの莫大な利権集団、原子力ムラの思惑があるからです。
 国内では新規に原発を受注できなくなってしまった業界は、外国に原発を売らせろ、兵器を作らせろと政府に圧力をかけてきました。先の戦争への反省から、憲法9条をもち平和主義を国是とするわが国は、武器輸出三原則で長年にわたり厳しく制限してきましたが、昨年四月、武器輸出を可能にしてしまいました。 2014年度、表に出された数字では、軍需産業トップ10に防衛省自衛隊天下り64人、それら企業からの年間調達額は7929億円で自民党に1億5千万円を献金となっています。


3.立憲主義

 権力者が、傲慢になり戦争に暴走しないために、神は律法をお与えになりました。王は律法の下に制限されてこそ、謙遜になって公正な政治を行うことができます。18−20節

 「17:18 彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、
17:19 自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、【主】を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。
17:20 それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」

 権力者が最高の法の下に制限され、その制限下で国を治めなければならないという仕組みを立憲主義といいます。こうした立憲主義が世界の歴史のなかで確立したのは、ヨーロッパ18世紀ころです。17世紀、ヨーロッパは絶対王政と呼ばれる時代でした。フランスのルイ14世が典型的です。王は「朕は国家なり」と言ったそうです。言い換えれば、「私が法律だ」というわけです。当時は、王は神に立てられた者であるから、王は自分に気に入らない人は大臣であれ市民であれ逮捕して牢屋にぶち込み、死刑にしてもよいという時代でした。
 こういう権力者の横暴から、神が人間に生まれながらに与えてくださった基本的な権利、つまり基本的人権を守るために作られたものが憲法なのです。たしかに神様はローマ書13章にあるように、権力者に対して剣(警察権)をあたえて、悪を制御し、暴力団のやりたい放題のような世の中になってしまわないようにしておられます。けれども、愚かな権力者が傲慢になって、国民の生殺与奪の権を自分がにぎっていると思いあがることがあります。いわば、国家権力は国民の役に立つ番犬なのですが、その番犬は獰猛なので鎖をかけておく必要があります。その鎖が憲法です。
 基本的人権とは、神様が人間をご自分の似姿として創造なさったゆえに、すべての人間に与えている権利です。日本国憲法は,思想・信条・表現の自由など自由権生存権などの社会権参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権などを、基本的人権としています。権力者は、基本的人権を犯さないために憲法の制限の範囲内で、法律を定めて、これを施行して、国民を治めるのです。権力者は、憲法から外れた法律を立てて、国民を支配してはならないのです。
 現在、安倍政権が提出した、安保関連法制が参議院で審議されています。しかし、憲法は9条において、国権の発動としての戦争を放棄する。国の交戦権はこれを認めないと定めてあります。ただ政府は長年にわたって、交戦権とは別に、自衛だけは自然権として認めるとして来ました。しかし、理屈をつけて、海外に出かけて戦争するというのは明白な憲法違反であり、立憲主義というこの国の秩序を根元から破壊する行為です。


結び
 番犬はたしかに有用です。しかし、番犬が鎖を引きちぎれば主人に噛み付き、近所の人にも噛み付くでしょう。国家は神が社会秩序を維持するために立てたものとして有用なものです。私たちは権威ある人々を重んじるべきです。国家にとっての憲法は、番犬にとっての鎖です。国家権力が憲法を無視したり勝手解釈するならば、その権力は主権者である国民を苦しめ、隣国にも迷惑をかけることになります。かつて日本は軍部が暴走して、特にアジア諸国にひどい迷惑をかけました。アジアで二千万人の人が殺され、日本人は300万人が死にました。
 現在、日本政府はそういう危険な状況に進みうる、第一歩目を踏み出そうとしています。このことを認識して、上に立つ権威が正気に返って、謙遜になるようにお祈りしなければなりません。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」2テモテ2:1,2