苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月15日

(エレミヤ5:3)

口語訳
彼らは、「主は生きておられる」と言うけれども、
実は、偽って誓うのだ。
主よ、あなたの目は、
真実を顧みられるではありませんか。
あなたが彼らを打たれても、痛みを覚えず、
彼らを滅ぼされても、懲しめを受けることを拒み、
その顔を岩よりも堅くして、
悔い改めることを拒みました。


新改訳
たとい彼らが、
「【主】は生きておられる」と言っても、
実は、彼らは偽って誓っているのだ。
主】よ。あなたの目は、
真実に向けられていないのでしょうか。
あなたが彼らを打たれたのに、
彼らは痛みもしませんでした。
彼らを絶ち滅ぼそうとされたのに、
彼らは懲らしめを受けようともしませんでした。
彼らは顔を岩よりも堅くし、
悔い改めようともしませんでした。



新共同訳
「主は生きておられる」と誓うからこそ
彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。
主よ、御目は、真実を求めておられるではありませんか。
彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず
彼らを打ちのめされても
彼らは懲らしめを受け入れず
その顔を岩よりも固くして
立ち返ることを拒みました。

 主の御名をかかげて誓いながら、平然と誓いを破る。これほどの偽りはない。真実と訳されるエムナーはfaithfulness誠実ということ。信実ということ。唇で語ることばが、その心のうちにあることと一致していることを主は求められる。しかし、ほんとうに神に背を向けてしまうとき、人は神の懲らしめを受けるとき、なおさら心頑なにしてしまう。・・・実際、そういう恐ろしい現実があることを、これまで何度か見せられてきた。
 主の前では、幼い子どものように、こら!と叱られたら単純に泣きながらごめんなさいと言って、生き直すものでありたい。