苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月8日

エレミヤ2:27後半

口語訳
彼らは背をわたしに向けて、その顔をわたしに向けない。
しかし彼らが災にあう時は、
『立って、われわれを救いたまえ』と言う。


新改訳
実に、彼らはわたしに背を向けて、顔を向けなかった。
それなのに、わざわいのときには、
『立って、私たちを救ってください』と言う。


新共同訳
彼らはわたしに顔を向けず、かえって背を向け、
しかも、災難に遭えば
「立ち上がって、わたしたちをお救いください」と言う。

 訳文に大きな異同はない。ただ、口語訳で「しかし」新改訳で「それなのに」という逆接に訳されたワウを、新共同訳が「しかも」と訳したのは、効いている。
 日ごろは、地球を自転・公転させて太陽を昇らせ雨を降らせて季節を経巡らせ、空気を無料で提供し全ての必要を満たしていてくださるお方に、まったく感謝もすることもせず、「神になど頼るのは弱い人間のすることだ」とうそぶいてすべて自分の手の力で自分の人生を切り開いてきたかのように思いあがっているのだが、たまに災いに遭うと「神様助けてください」と言う。いや、それどころか、「こんな災いが起こるとは、神の正義はどこにある。」と呪いさえする。人間というのは、なんと恩知らずで、身勝手で、不遜なものであろうか。かつて、私自身、そうであった。
 日々、生かされていることを感謝し、注がれている恵みを感謝して生きる者でありたい。