苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

戦後七十年

 日清戦争が始まった1894年から先の太平洋戦争敗戦の1945年までのわずか51年間に、わが国は日清、日露、第一次大戦、日中・太平洋戦争と絶えず戦争をしてきた。前の三つの戦争で失われた日本兵士の生命は13万人。日中・太平洋戦争で失われた兵士は230万人。一般国民の死者は80万人であり、アジア諸国の戦争の死者は2000万人に上る。これがある人々によって「美しい日本」と妄想されている大日本帝国時代の現実であった。
 先の大戦後70年間、わが国は、少なくとも直接的な戦闘行為によって一人も殺さずに歩んで来ることができたのは、実に偉大なことである。「それは米軍の傘の下にいたからだ」と主張する人々がいるが、そうではない。世界の警察を自任する米国は、大戦後も、朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争をはじめ、絶えず戦争をしてきた。日本と同じく、米軍の傘の下にいた韓国はベトナム戦争に32万人の青年が狩り出され5000人の戦死者を出し9000人のベトナム人を殺したとされる。
 では、同じように、わが国も戦後70年間、米国の傘の下に置かれていながら、米国の戦争に巻き込まれなかったのはなぜか。憲法九条「戦争放棄条項」があったからである。実際、朝鮮戦争のとき、米国議会にはアジアの戦争にまたも米軍の青年たちを派遣することを嫌って、日本の兵隊を使役せよという主張が強かったという。だが、その時、九条のせいで日本には出兵を求められないことが判明した。1951年5月5日、マッカーサーは米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会に召喚され、日本国憲法に九条が入れられた経緯の説明を求められた。
 1946年1月24日、幣原喜重郎首相はマッカーサーを訪問した。この会談で、幣原首相は驚くべき提案をした。以下、マッカーサーの証言。

 「日本の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談にきました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし、私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです。』と。
 それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それは取られ得る最高に建設的な考え方の一つだと思う、と言いました。世界があなたをあざ笑うことは十分にありうることです。(中略)その考えはあざけりの的となることでしょう。その考えを押し通すにはたいへんな道徳的スタミナを要することでしょう。
 そして最終的には彼らは現状を守ることはできないでしょう。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。そしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。」

 戦後70年間、わが国は米国の傘下にありながらも九条を持っていたので、ぎりぎりの所で、自衛隊は米国の戦争に狩り出されることを免れてきた。とはいえ、沖縄の基地から出撃したB52が北ベトナム爆撃に向かって多くの犠牲者を出したことは事実である。北ベトナムの戦死者 117万7千人人、行方不明者 60万4千人、民間人死者 300万人。イラク戦争でも、自衛隊機が多くの米兵を運んだ後、民間人の死者数が跳ね上がっていることが今国会で指摘されていた。私たちもこれらの戦争犠牲者に関して無罪とはいえない。
 今、さらに、九条が、常軌を逸した解釈変更によって、有名無実化されようとしている。私たちに求められているのは、マッカーサーの言った「道徳的スタミナ」なのだろう。

「剣を取る者は、剣によって滅びます。」主イエスのことば


(通信小海273号)