苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月4日  神であられ、人となられ

イザヤ書40章28節
口語訳
あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

新改訳
あなたは知らないのか。
聞いていないのか。
【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、
その英知は測り知れない。


新共同訳
あなたは知らないのか、
聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく、
その英知は究めがたい。

 昨夜九時、暑い東京から帰宅し、もう一仕事してから床についたので十二時を回っていたのだが、朝は五時半に目がさめてしまう。むかし、同居していた祖母に「おばあちゃん、なんで朝早く起きるん?」と訊いたことを思い出す。その分、祖母は昼ぼんやりしていた。私も同じ。
 さて、本日のイザヤ書は有名なところ。どの翻訳もたたみかけるように勢いを感じる一節であり、神の力づよさ、神の無尽蔵のエネルギー、神の知恵の量りがたさが、謳われている。
 だが、この箇所を読むと、私は主イエスが一日の伝道生活を終えて、疲れ果て、ガリラヤ湖の嵐に翻弄される舟のともに枕して泥のように眠っていらしたお姿をふと思い浮かべて、感慨を覚える。ああ、主はまことに神であられながら、まことに私たち人間と同じ弱さをまとってくださったのだ、と。しかし、弟子たちにたたき起こされて立ち上がると、主は波と風に向かって叫ばれた。「黙れ。静まれ。」・・・すると嵐はやんだ。まことに主イエスは不思議なお方、神が人となれたお方だった。