苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン7月26日

詩編62章8節
文語訳
民よいかなる時にも神によりたのめ
その前になんぢらの心をそそぎいだせ
神はわれらの避所なり

口語訳
民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。
そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である。

新改訳
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。

新共同訳
民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。(62:9)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

詩篇62篇は、メロディ付きカベナンター詩篇歌のなかでもお気に入りの一篇。ふとしたときに思い浮かんでくる。
「わが魂(たま)黙し ただ神を待つ
 われの救いは 神より来る
 神はわが岩 またわが救い
 わが城なれば 揺るぐことなし
 ・・・・・
 民よ、汝ら いかなるときも
 神を信じて より頼むべし
 心を注ぎ 御前に祈れ
 神はわれらの 避け所なり」

 外からの声に、内に響く声に、お前はやっていけるのか、もうだめではないのか、と言い立てられて、心騒ぐとき、神の前にまず静まって、神がどのようなお方であるのかをよく味わい思いめぐらす。神はわが岩、またわが救い。わが城なのだ、と。このお方に信頼して生きている以上、何が起ころうと大丈夫だ、と。
 心を注ぎだし、あのハンナのように、洗いざらい神の前にお話し申し上げるとき、神のおことばが来て、世の何者も与えることのできない平安が訪れる。何度こういう経験をしてきたことだろう。