苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン6月30日 みことばによって望みを

詩篇119:114

文語訳
なんぢはわが匿るべき所わが盾なり われ聖言によりて望をいだく
口語訳
あなたはわが隠れ場、わが盾です。
わたしはみ言葉によって望みをいだきます。
新改訳
あなたは私の隠れ場、私の盾。
私は、あなたのみことばを待ち望みます。
新共同訳
「あなたはわたしの隠れが、わたしの盾、御言葉をわたしは待ち望みます。」

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 119篇はいろは歌の、みことば詩篇
 訳語として字の用い方が気にいらないのは新共同訳の「隠れが」。「隠れ家」と書けばよいのに、と思う。
 「みことばによって望みをいだく」とするのが文語訳、口語訳で、他方、「みことばを待ち望む」が新改訳と新共同訳。英語の諸訳を見ても、二つに分かれる。原語では、leという前置詞の理解でわかれる。I wait for your wordか、I hope in your wordか。
 「見回しても何の望みがないような状況でも、みことばに支えられて、望みをいだいて生きる。」それとも、「みことばそのものを待ち望む」のか。碩学たちが両様に訳しているから、両方ありなのだろう。私自身は、人間的観点からは何の期待もできそうにない状況でも、とにかく、みことばの命令と約束だけを頼りに福音の任務に生きるというほうがピンと来る。そういう道を選んできたので。