苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン6月10日

詩40:12、13
文語訳:
そはかぞへがたき禍害われをかこみ
わが不義われに追及てあふぎみること能はぬまでになりぬ
その多きことわが首の髮にもまさり わが心きえうするばかりなればなり  
ヱホバよ願くはわれをすくひたまへ  
ヱホバよ急ぎきたりて我をたすけたまへ

口語訳:
数えがたい災がわたしを囲み、
わたしの不義がわたしに追い迫って、
物見ることができないまでになりました。
それはわたしの頭の毛よりも多く、
わたしの心は消えうせるばかりになりました。
主よ、みこころならばわたしをお救いください。
主よ、すみやかにわたしをお助けください。

新改訳:
数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、
私の咎が私に追いついたので、
私は見ることさえできません。
それは私の髪の毛よりも多く、
私の心も私を見捨てました。
【主】よ。どうかみこころによって
私を救い出してください。
主よ。急いで、私を助けてください。

新共同訳
悪はわたしにからみつき、数え切れません。
わたしは自分の罪に捕らえられ何も見えなくなりました。
その数は髪の毛よりも多くわたしは心挫けています。
主よ、走りよってわたしを救ってください。
主よ、急いでわたしを助けてください。

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「わざわい、悪」は外的であるが、「私の咎」は自分自身のもの。まとわりつく罪。外からの悪は私を苦しめても私を神の前に滅ぼすことはない。しかし、私自身の罪はわたしを神の前に滅ぼしてしまう。まとわりつく罪から救い出すことができるのは、ただ贖い主である主だけ。主よ、わたしを助けてください。