苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン6月6日  トーブをなすには

箴言3:27)
文語訳:汝の手善をなす力あらば
之を爲すべき者に爲さざること勿れ
口語訳:あなたの手に善をなす力があるならば、
これをなすべき人になすことを
さし控えてはならない。
新改訳:あなたの手に善を行う力があるとき、
 求める者に、それを拒むな。
新共同訳:施すべき相手に善行を拒むな、
あなたの手にその力があるなら。
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 新共同訳のみ条件節を後にして、ヘブル本文の語順を訳文に残しているのが特徴。
 善、善行と訳されるのはトーブ。東武百貨店は「良いデパート」、もう町村合併でなくなってしまったが信州の東部町は「良い町」だった。新共同訳は施しに意味にかぎられた訳文だが、広く善と訳すほうがよいかもしれない。なにが困窮している相手にとって善であるかをみきわめることは、かなりむずかしいことがある。ある人が生活に窮しているということで、援助を何度かしていたら、彼はそれを端からギャンブルにつぎ込んでいたということがあった。依存症だったのである。ときには愛がないと罵られても拒むことが、相手にとって善のばあいもある。トーブをなすには、神の知恵と自己満足でないほんとうの愛が必要。