苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月21日 馬や騾馬のようでなく

詩篇32:8
われ汝ををしへ
汝をあゆむべき途にみちびき
わが目をなんぢに注て
さとさん(文語訳)

わたしはあなたを教え、
あなたの行くべき道を示し、
わたしの目をあなたにとめて、
さとすであろう。(口語訳)

わたしは、あなたがたに悟りを与え、
行くべき道を教えよう。
わたしはあなたがたに目を留めて、
助言を与えよう。(新改訳)

わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(新共同訳)
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 詩篇32編は51編と並んで、詩人ダビデの深い悔い改めの詩篇だが、32編後半は罪赦された者として、神との対話がはじまり、8節では神が詩人に語りかけている。
 興味深いのは続く9節で「あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。」と主が言われる点。8節でみことばをもって悟りを与えようといわれるが、みことばに聞かない者は馬や騾馬のような者でくつわとたずなをもって制するほかはないとおっしゃる。
 主はみことばをもって私たちを導かれるが、みことばに聞こうとしないならば、人生に訪れる強制力(くつわと手綱)で無理やり従わせられる。みことばに聞いて従う、悟りある信徒でありたい。