苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月15日   生きている限り

申命記5:29
只願しきは彼等が斯のごとき心を懐いて恒に我を畏れ吾が誡命を守りてその身もその子孫も永く福祉を得にいたらん事なり (文語訳)

ただ願わしいことは、彼らがつねにこのような心をもってわたしを恐れ、わたしのすべての命令を守って、彼らもその子孫も永久にさいわいを得るにいたることである。(口語訳)

どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。(新改訳)

どうか、彼らが生きている限りわたしを畏れ、わたしの戒めをことごとく守るこの心を持ち続け、彼らも、子孫もとこしえに幸いを得るように。(新共同訳)
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 主の戒めを聞いて行いますという決心のことばに対して、主が応じて仰せになったことば。
 例のごとく、新共同訳は独特。他の訳が直訳すれば「すべての日々」であることばを「つねに」「いつまでも」と訳すのを、「生きている限り」と訳している。ここは名訳かも。結婚式の誓約を思い出させる。
 このような「心lebab」を持ち続けることが大事。それは、ただ神のめぐみによってのみ可能なこと。
 縄跳び、木刀振りなど何をやっても三日坊主の私が、十九でイエス様を信じてからずっと信じ続けてこられたのは、どうみても自力ではない。この心を主が賜ったとしか思えない。これから生涯主を信じていくこともまた、主の恵み。