苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月14日  剣を鋤に

ローズンゲン5月14日
イザヤ2:4

主は国々の間をさばき、
多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことを習わない。(新改訳)

主は国々の争いを裁き、
多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない(新共同訳)
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「アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて幻に見たこと」と表題があって、「終わりの日に」起こることとしてこの預言が語られている。
 神学生のころ、北海道のある教会が作った戦時下の基督教会の史料集「再び武器を手にしないために」の扉にこのイザヤのことばが記されていた。東西冷戦の終わりのころだった。その後、ソ連は米国との軍拡競争に官僚利権癒着で経済破綻して崩壊し、ベルリンの壁が崩され、東西融和の時代となった。
 そうして、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とするとあるように、軍事技術の民間生活に適用されるということが起こったが、それでも米国の軍需産業界は不況にあえぐことになる。そこに登場した救世主ブッシュは「テロとの戦い」という、決して終わることのない戦争の悪循環をもたらすスローガンを叫んだ。軍需産業界が泣いて喜んでいる。今、わが国政府と軍需産業界はこの渦に飛び込もうとしている。鋤を打ち直して剣とし、鎌を打ち直して槍とするという安倍こべ。
 だがこんな時代だからこそ、もう一度、このみことばを噛み締めて掲げよう。

彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことを習わない。