詩篇 40:4
ヱホバをおのが褚となし
高るものによらず
虚偽にかたぶく者によらざる人はさいはひなり(文語訳)
主をおのが頼みとする人、
高ぶる者にたよらず、
偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。(口語訳)
幸いなことよ。【主】に信頼し、
高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに
向かなかった、その人は。(新改訳)
いかに幸いなことか。主に信頼する人
ラハブを信ずる者にくみせず
欺きの教えにしたがわない人は。(新共同訳)
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他の訳が「偽り」と訳すところを、口語訳が「偽りの神」としているのが特徴的。ヘブル語の具象性からすると、そのほうがピンと来る気がする。諸英訳でも両方あり。
新共同訳は他の訳が「高ぶる者」としているのを「ラハブ」(本文では複数形レハビーム)としている点。ヨシュア記の遊女とはもちろん別。今朝の文屋先生の黙想によると・・・
(以下引用)
「この「ラハブ」とは神話的な怪獣を示しているが、面白いことに「ラハブ」という単語は当時の強大国エジプトを示す一種の隠語として用いられていたらしい。「ラハブに信頼する者」とは、この世における陰の権力者を信頼する者、偽る者であり、それに組みする者とは、騙されている人々を示している。」
(以上引用)
なんだか、どこかの属国の指導者が、宗主国に国民のいのち・生活を提供する見返りに、宗主国に招かれて国会で演説させてもらって得意の絶頂にある姿と重なってしまう。
私たちは、主に信頼しよう。