苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

変わるもの、変わらないもの

 今日はふと思い立って、リッチモンドに住む旧友N君をはじめてスカイプで呼んでみましたら返事が来ました。大学時代の友人ですから、35年ぶりの再会です。奥さんとは、土浦めぐみ教会時代にいっしょに教会学校中学科で奉仕したことがありました。
ぼくのパソコンにはカメラが付いていないのですが、彼のには付いていて、ちゃんとお目にかかることができました。すごい時代ですよね。無料でテレビ電話です。
 N君は、J.I.パッカー先生の贖罪論にかんする論文が日本のクリスチャンに役に立つと考えて、その翻訳草稿をつくられたので、私が見せていただいているところなんです。文法的正確さを期するのか、わかりやすさを第一にするのか、また、内容そのものがむずかしいということとか、なかなか翻訳というのはやっかいなものですね。
 そんな翻訳談義、神学談義をしていたら、画面の向こうに奥さんが出てきてくださって、35年前教会学校で、ぼくがお話したバベルの塔の話のなかの一節に自分は支えられてきたというのです。びっくりしました。みことばというのは、不思議なものです。
 スカイプで時代が変わったことを感じ、時代が変わっても変わらない神のことばの力ということを思わせられました。