苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月23日  かの日にあこがれてこそ今日を

イザヤ書60章20節
そはヱホバ永遠になんぢの光となり
汝のかなしみの日畢るべければなり(文語訳)

主がとこしえにあなたの光となり、
あなたの悲しみの日が終るからである。(口語訳)


【主】があなたの永遠の光となり、
あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。(新改訳)

主があなたの永遠の光となり
あなたの嘆きの日々は終わる。(新共同訳)

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このイザヤの預言は黙示録終章に反映されている
「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示録22:5)
 かの日に希望を置いて生きる彼岸的信仰者は此岸の現実に対して無責任になる、などといわれたこともある。だが、永遠の希望があるからこそ、此岸のどうにもならない嘆かわしい暗闇の現実に絶望せず、さりとて、開き直って埋没して自ら闇とならず、今日一日を、地の塩、世の光として生きる・・・これが主が私たちに教えられたこと。