苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月26日    アウグスティヌスの祈り

エレミヤ31:18b

私を帰らせてください。
そうすれば、帰ります。
【主】よ。あなたは私の神だからです。(新改訳)


主よ、あなたはわたしの神、主でいらせられる、
わたしを連れ帰って、もとにかえしてください。(口語訳)


ヱホバよ汝はわが神なれば我を牽轉したまへ然ば我轉るべし(文語訳)

どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。(新共同訳)

 新改訳と文語訳は、「主よあなたは私の神だからです」「汝はわが神なれば」とキーということばが理由として訳出されているが、口語訳、新共同訳は訳出しない。
 「帰らせてください」「そうすれば帰ります」という祈りのことばを見ると、ペラギウスがつまづいたというアウグスティヌス祈りを思い出す。ペラギウスは400年頃ローマ滞在中、ある司教がアウグスティヌスの有名な祈り「なんじの命じるところを与え、なんじの欲するところを命じたまえ」(告白10:29)ということばにつまずいた。人間の意志までも堕落しているならば、どこに道徳が成りたとうか、と。
 無力となった意志までも生き返らせ癒して、主に従わせてくださいというのがアウグスティヌス祈り。理屈をいえばペラギウスの言うとおりだが、祈りにおいてはアウグスティヌスのようになる。祈りにおいて人はもっとも賢明になるという神学者のことばがあった。祈りをもって神学すること。