苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月22日   天のエルサレムに

エレミヤ51:50

剣から逃れた者よ。行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。(新改訳)


つるぎをのがれてきたあなたがたは、行け、立ちとどまってはならない。遠くから主を覚え、エルサレムを心にとめよ。(口語訳)


劍を逃るる者よ往け止る勿れ遠方よりヱホバを憶えヱルサレムを汝らの心に置くべし(文語訳)


剣を逃れた者らよ。行け、立ち止まるな。遠くから主を思い起こしエルサレムを心に留めよ。(新共同訳)

 格別、気になる翻訳上の異同はない。
 文脈は、51章バビロン滅亡。これはかつてエルサレムを滅ぼしたバビロンに対する主の復讐として預言されている。バビロン滅亡のイメージは、黙示録における大淫婦バビロンの滅亡に反映されている。またペテロ書ではローマ帝国の都がバビロンに諷されている。カインがエデンの東に最初の町を築いて以来、都市は権力と文明と富と快楽と偶像によって繁栄するが、最後には戦争か天変地異によって滅ぼされてきた。
 そこに住む神の民に向かって、「剣から逃れた者よ。行け。立ち止まるな。」と預言者は叫ぶ。ソドム滅亡の日に、この町を逃れたロトの家族に御使いが叫んだように。バビロンに後ろ髪ひかれて振り返ってはならない。振り返れば塩の柱になってしまう。 そして、前を見て「遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。」と命じる。
 今日、この国では、私の住んでいる信州の山間地の町村にまで都市文明バビロンは広がっている。二十年前この地で開拓伝道を始めたときとえらい違いである。今はインターネットを介して本でもなんでも簡単に入手することができる。急速に便利になった。だけれど便利とばかりは言っていられない。本日の箇所を見てみると、逃げても逃げてもバビロンが追いかけてきているというふうにも思える。
 前を見よう。主をいつも心に思え。エルサレム、神の家に思いをいたし、天のエルサレムに憧れて、生きていこう。今日は、主の日。