苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月15日    主の摂理の下に

申命記5章33節
あなたがたの神、【主】が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。(新改訳)


あなたがたの神、主が命じられた道に歩まなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつさいわいを得て、あなたがたの獲る地において、長く命を保つことができるであろう。 (口語訳)


汝らの神ヱホバの汝らに命じたまふ一切の道に歩め然せば汝らは生ることを得かつ福祉を得て汝らの產業とする地に汝らの日を長うすることを得ん (文語訳)


あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる。(新共同訳)

 新改訳は、後半の結びが「・・・ためである」と目的的に訳しており、、他の表訳は「・・・せよ、そうすれば・・・・」と条件と結果として訳しているという違いがある。ヘブル語本文では、レ・マーン。マーンは意図、目的を意味することからいえば、新改訳のほうがベターかも。だが、結果を目的的に表現することはヘブル語ではよくあるようだから、断言はできない。どちらも可。
 新改訳「主が命じられたすべての道」文語訳「命じたまふ一切の道」の「すべて」「一切」はちゃんと訳出されたもので、口語訳では省略し、新共同訳では「ひたすらに」ということばを入れることで、これを表現しようとしている。
 他の訳が「しあわせ」「さいわい」と訳したのを文語では「福祉」と訳したのはおもしろい。

 主が命じる道をしっかりと生きると、幸いを得る。たいていはそうであって、ヨブみたいな義人の苦難は例外ということか?

 聖書のなかには、主にしたがうならばこんなふうに祝福がある、長生きできる、幸せになる、ということばがある一方、主にしたがう者は迫害される、正しい者には悩みが多いというということばもある。どちらが本当かというと、どちらも本当だなあというのが、聖書を読んできて、そして、主を信じて生きてきての実感である。主は、医者のように私たち患者にとって、甘い薬、苦い薬、あの薬草、この薬草と配剤してくださる。配剤は、配慮そして摂理とも訳されることばprovidenceという。
 神の配剤のもとに生きる私たちとしては、 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神の なさること。それは後の事を人にわからせないためである。」 (伝道者7:14)ということになる。伝道者の書のことばは、なんだか当たり前のことばのようで、深いものを感じる。