苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神を愛するための神学講座Ⅱ  創造論に加筆2

神を愛するための神学講座Ⅱ  創造論に加筆
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●御子は創造においても神と万物の間の仲保の役割を果たされた
 三位一体の神のお働きを見ると、御父が主宰し計画を立て、御子は計画を実行し、聖霊はそれを完遂するというふうに一応区別することができるように思われる。御子は、御父の御旨にしたがって万物を創造なさった。「初めにことばがあった、ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって(ディア)造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:1−3)と記されているとおりである。
 ヨハネ福音書が、御子を「ことば(ロゴス)」と呼んだとき、記者は二つのことを意識していたと思われる。第一は、創世記第一章における創造のわざが、神のことばによって遂行されたことである。「神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」(1:3)「神は仰せられた。『大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。』神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。」(1:6,7)「神は仰せられた。『天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。』そのようになった。」(1:9)「神は仰せられた。『地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。』そのようになった。」(1:11)「神は仰せられた。『光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』そのようになった。』(1:14,15)・・・というふうに、万物の創造は神のことばによって遂行された。
 ヨハネ福音書記者が、意識していたと思われる第二のこと。御子を紹介するにあたって、ロゴスという名称を用いたのは、当時の地中海世界の東半分のギリシャ語文化圏においてポピュラーだったストア学派が、世界を構成している理法があると考え、それをロゴスと呼んでいたからであると思われる。この文化圏に住む人々は、ロゴスということばを聞けば、世界を成り立たせている理法のことが頭に浮かんだはずである。天を見上げれば太陽や月や星の正確な運動を観察でき、そこに見えない理法があるからこそ、何年何月何日の何時には日食が起きると言ったことが計算できる。また、地上の微生物から巨大な動植物にいたるまで生命の営みを支配する生命の法則もある。また、数の世界にもある論理があるので、古代ギリシャユークリッドという人は数学の体系を論理的に構築することもできた。ミクロからマクロまでの見える世界、また、数・物理・化学・生命から経済・美・法・道徳といった世界のさまざまな次元におけるさまざまな法を支えている、根本的な一つのロゴスが確かに存在することは、哲学者たちが世界を観察して見出していたことだった。イスラエルのナザレに生まれた救い主は、そのロゴスが人となられたお方なのだ、とヨハネ福音書記者は紹介したのである。

また、コロサイ書は、万物というのは目に見えるものばかりでなく、目に見えないものをも意味していることと、万物は御子によって造られたばかりでなく、万物は御子のために造られたのだとも教えられている。「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16)御子は万物の目的である。
 御子の役割は神と人との「仲保者」であると言われ、たいていそれは救済論的な意味で言われるのであるが、創造論的にも御子は神と被造物の仲保者であられる。創造において、仲保の働きを担っているからこそ、救済においても仲保の役割を果たすことがおできになった。