苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月6日    ささげものと心

歴代誌上29章17節

私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。(新改訳)


わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。(口語訳)


我神よ我また知る汝は心を鑒みたまひ又正直を悦びたまふ(文語訳)


わたしの神よ、わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。(新共同訳)

<感想>
 bachanの訳語が「ためす」「鑑みる」「調べる」と三様ある。
 文脈は神殿建設のためのささげものに関することであって、この前後繰り返し「心lebab」ということばが出てくる。民の心(9節、18節)、ソロモンの心(28章9節、29章19節)。神へのささげものにおいて、必須なのは「心」。ささげものは、その人の心の表出であるべきであって、心の現われでないものはささげものではない。神は、そのことをためし、調べられる。
 なぜなら、すべての良きものは主の御手から出て私たちに託されているのであり(16節)、主はすべてのよきものの所有者であられるのだから、主に不足があるわけはないからだ。主は私たちの主を喜ぶ心を受け取ってくださる。主を愛する愛の表出としてのささげものを受け取ってくださる。


 主よ。主の日ごと、あなたへのささげものが「悪い意味で」習慣化し、偽善となってしまうことがありませんように。あなたへの愛と喜びに満ちたものでありますように、私の心を守ってください。