苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月5日  御翼の陰に

詩篇57:1

神よ。私をあわれんでください。
私をあわれんでください。
私のたましいはあなたに身を避けていますから。
まことに、滅びが過ぎ去るまで、
私は御翼の陰に身を避けます。(新改訳)


神よ、わたしをあわれんでください。
わたしをあわれんでください。
わたしの魂はあなたに寄り頼みます。
滅びのあらしの過ぎ去るまでは
あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。(口語訳)


我をあはれみたまへ神よわれをあはれみたまへ わが霊魂はなんぢを避所とす われ禍害のすぎさるまではなんぢの翼のかげを避所とせん(文語訳)


憐れんでください、神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまであなたの翼のかげを避けどころとします。(詩編57章2節 新共同訳)

 序文にダビデがサウルの追跡を逃れて洞窟にいたとき、とある。詩篇142:7にも同じような序文がついていたが、あちらでは洞窟は「牢獄」のようにとらえられていた。ところが、こちらでは、洞窟は嵐が過ぎ去るまでに身を避ける御翼の陰と感じられていた。興味深い。
 主イエスが弟子たちとガリラヤ湖を行かれたとき、突風が吹き荒れて舟が沈没せんばかりになった。弟子たちにとって、舟は集団棺おけにひとしかった。だが、主イエスはともに枕して眠っていらした。主イエスにとっては、御父が揺らしてくれるゆりかごのようなものであった。
 主に信頼して生き抜きたい。