苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

後藤さんを悼む意味

 パスカルの文章に、<死者を真に悼むこととは、ただ嘆き悲しむことではなく、その死者がもし生きていたなら行うことを望んだことを遺された者たちが代わって行うことだ>という旨のものがあったと記憶する。キリスト者でありジャーナリストであった後藤さんの死を悼むとはどういうことなのか。
 NHK柳澤秀夫解説委員がつぎのように朝イチでコメントしたのだそうである。柳沢氏はかつて1990年ー91年、湾岸戦争のとき、イラクに踏みとどまってレポートをした記者だった。

「冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、
ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ・・・。

 僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。

 戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。

 それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない・・・。

 われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。」