苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

映画『神は死んだのか』

 妻といっしょに、佐久アムシネマに『神は死んだのか』という映画を見に行って来ました。全米でずいぶんのヒットだそうです。
 主人公の大学1年生、無神論者の教授、主人公の恋人、件の教授のクリスチャン妻、件の教授のクラスの中国人同級生、大学の食堂で働くイスラム家庭出身の隠れクリスチャン女性、二人の牧師、突撃取材レポーターの女性、その恋人(?)のビジネスマン、ビジネスマンの認知症のクリスチャン母親(その娘は件の教授のクリスチャン妻)といったのがおもな登場人物だが、人間関係が錯綜するので、ここには書きません。映画としては、昔のビリーグラハム伝道協会の伝道映画のようなお粗末なつくりではなく、ちゃんとしていて見ごたえがありました。
 ここでは、大学の教室で主人公が展開した神の存在証明の一部を紹介しておきます。

1.ビッグバン

 主人公はまずビッグバンを取り上げます。「ビッグバン理論が登場する以前、20世紀前半までの2500年もの間、多くの人々は宇宙に始まりはなく、永遠の昔からあるものと考えていました。(これを定常宇宙論といいます。) しかし、ハッブル望遠鏡によって宇宙は膨張していることが観察され、その膨張の始まりを計算したところ、宇宙は138億年前に無から忽然と大爆発によって出現し膨張し続けているということがわかっています。
 これは創世記1章3節「神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」と合致します。」

 これに対して教授は、「かの大天才のステーブン・ホーキングは『宇宙の誕生に創造者の手は必要ではない、それは物理法則にしたがって、自然発生した』と言っていることを知らないのか」と、主人公に反論します。
 主人公は、その場では反論できませんが、翌日、ある数学者のことばを引いて、ホーキングの主張の論理的欠陥を指摘します。「ホーキングはただ自分が言いたいことを言っているだけのことであって、なんの論拠もない、ただ天才ホーキングの言葉だというので多くの人々が信じているにすぎない」と。
 さらに、哲学教授が大学一年坊主がホーキング大先生のおことばを否定するのかといった主張をするので、主人公は、ホーキングの上の言葉の書かれた本の他のページから「哲学など無意味だ」という命題を引用します。「ホーキングが教授の言うように無謬であるなら、この哲学教室自体無意味になってしまいますよ」と。


2.宇宙の出現と進化の話
 第二回目の部分は、話がバーッと進んでしまって、きちんと聞き取ることができませんでした。昔の映画館なら何回でも見られたのですが、今は入れ替え制なので、一回しか見られませんでした。まちがってお伝えしたくないので、省略します。


3.悪の存在
 第三回目、主人公は次のように論じます。「無神論者は、『全能にして善である神が存在するならば、なぜ悪が存在するのか。悪が存在するのは、全能にして善である神が存在しないことの証拠だ。』と主張します。しかし、悪は、神が人間の自由意志を認めているがゆえに人間が神に背くことを選んだ結果であり、終局において神は正しい裁きをなさるのです。」
 教授は「悪を放置したままの神は善なのか?」というふうな反論をします。主人公は答えます「教授だってさまざまな課題を出してレポートをいろいろ書かせ、発表させ、最後に試験をして、裁定を下しているではないですか。それで教授のしていることは不当なのですか。」
 さらに、主人公は「神の存在を否定するならば、善悪というもの、道徳ということ自体が無意味になってしまう。創造主が計画をもって創造したのでないならば、いっさいは偶然に生じたことになる。偶然の存在に、意味はなく、当然、善悪もないのだから。」と答えます。

 議論の結末で、主人公は教授に迫ります。「そもそも教授は無神論者ではなくて反有神論者である。神に怒り、神を憎んでいるでしょう。」教授は「ああ、私は神を憎んでいる!」と答えます。主人公は「教授、存在しないものをどうして憎むことができるのですか?」
 教授は絶句。


<感想>
 シナリオを持っておらず、最近の映画らしくすごいスピードで場面が移り変わり、クラスの場面も同じなので、ちゃんと記憶できているかどうか怪しいのですが、こんなところでした。
 哲学教授はいかにもそれらしき風貌ではあるのですが、自分の脳漿を搾って議論を展開することができず、フォイエルバハだニーチェだドーソンだホーキングだと言った有名な無神論者たちの名を出して脅しつけるだけなので、あ〜あと思いました。自分の頭で考えていない人だからです。
 まあ、実際、「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない」(ローマ1:20)のですから、被造物世界にある証拠を吟味すれば、無神論が不利なのは当然なのですから、あの教授に勝ち目はないのですから、しかたないのですが。
 映画では、こうした教室での場面だけでなく、主人公や隠れ神を取るか恋を取るかと迫られる場面や、他の登場人物に突然せまり来る死や、神の摂理の下で起こることがらがいろいろと織り交ぜて展開して行きます。
 単刀直入に、「神は実在する、君はどうする。君も死んだら神の前に出るんだぞ。」と突きつけられる内容ですから、もし、話についていく理解力があって、それでもあの教授のように「神は死んだ」という立場に固執する人は、見たあと、相当、気分が悪いでしょうね。映画案内の評価コメント欄を見ると、怒っている人が結構います。